島 安二郎氏の話に移る前に、もう少し『あじあ号』のことを書かせていただこう。『絵はがきの大日本帝国』 二松啓紀著 平凡社新書より
大連を出発するあじあ号
流線型の「パシナ型」と呼ばれる蒸気機関車が豪華客車を牽引し、大草原を猛スピードで走る。満鉄の看板列車「あじあ」の勇姿は「飛躍する満鉄」を日本人に印象づけた。運航開始は昭和9年11月1日だった。
あじあ号の後尾 展望車
午前10時に大連を出発、午後2時42分に奉天着、首都新京には午後6時20分に到着した。平均時速は80キロを超え、高速運転を実現するため、蒸気機関車とともに6両編成の客車もまた流線型にした。手荷物郵便車、三等車、食堂車、二等車、一等車の順に、最後尾の車両は洋風サロンの一等展望車だ。冷暖房完備、座席はボタンひとつで回転し車窓が楽しめる。食堂車では洋食が中心の豪華メニューで、カツレツやステーキ、ライスカレーなどが楽しめた。そして、行先の満州ではホテルや旅館、温泉などの観光開発がすすめられていた。
「日本人あり 白系露人あり 商人あり 誠に国際的社交列?な感があります」
差出人は特急あじあの乗客だった。裏面にこうある
「今四日はこの立派なあじあの展望車に収まって果てしなき満州の荒野を眺めつつハルピンから新京へ南下しました。当地には満州国皇帝陛下の皇居もあり、今や国都建設のため非常な勢いで発展中です・・昭和11年10月4日 夕」
新京ヤマトホテルより三重県三重郡神前村(現 四日市市)宛
ここで、昨日 下総人さんからコメントをいただいたので紹介する。
パシナというのは、パシフィック型の七番目の機関車という意味です。パシフィックというのは、機関車本体(炭水車を含まず)の車輪配列を表すアメリカ式の呼び名です。
動輪の前部に配置されている先輪が2軸、動輪が3軸、その後に配置された従輪が1軸の配列(2C1)をパシフィック型といいます。旧国鉄の機関車では、C51,C52,C53,C54,C55,C57,C59がこれに当たり、旅客列車に用いられました。
また、一般の人々にも馴染のあるデゴイチ。正式にはD51と言いますが、先輪1軸、動輪4軸、従輪1軸(1D1)でミカド型と呼ばれます。ミカドは日本の帝に因んで付けられた名称。戦後アメリカでは、ミカドと呼ばずにマッカーサーと呼ぶようになりました。(涙)
詳しい!そういえば、むかし『ミカド』というキャバレーがありました。行ったことはないですが・・・