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“幸せの黄色いハンカチ“

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幸せの黄色いハンカチ”は、昭和52年10月1日に公開され、第1回 日本アカデミー大賞・第51回 キネマ旬報賞・第32回 毎日映画コンクール・第20回 ブルーリボン賞・第2回 報知映画賞など数々の賞を受けています。山田洋次監督はこの映画の製作にあたって、アメリカ映画“シェーン”からヒントを得たといわれています。(“遥かなる山の呼び声”(昭和55年製作)の冒頭にもシェーンの曲が出ております)

※ 余談ですが・・・昭和45年製作の“家族”・昭和47年の“故郷”と“遥かなる山の呼び声”を民子三部作と呼ばれております。

山田監督が原作ピート・ハミルの“黄色いリボン”を知ったのは、「男はつらいよ」の撮影の合間に倍賞千恵子が「幸せの黄色いリボン」を口ずさんでいたのを聞いたのがきっかけでした。(この歌と原作とは直接関係ないようですが…)

当時歌手であった“海援隊”の武田鉄矢はこの時が映画初出演。都会出身の桃井かおりはすんなり決まりましたが、地方出身の男の配役が決まらなかったところ、プロデューサーの紹介で武田になったそうです。(赤いきつねさんもお歳をとられました)

撮影当時、武田は運転免許を持っておらず(運転は本当にヘタで、免許取得に20年かかった)、運転シーンはトレーラの牽引によって行われ、ロングで撮る場合は背格好の似た小道具のスタッフの運転によりました。

勇作(高倉健)と光枝(倍賞千恵子)の最後のシーンで、監督はずっとロングで撮っていましたが、「やはり、ここで観客が見たいのは妻の顔だ」という編集担当者の意見があり、後日少数のスタッフと倍賞だけで夕張に赴きロケが行われました。(このシーンは数秒でした)

最後の別れのシーンで、武田鉄矢がどうしても涙を流せないのを見た高倉健が、長期間の撮影に感謝する旨を述べると、武田は感激して涙をぽろぽろこぼしたといわれています。この瞬間に別れのシーンが撮影されました。

“幸せの黄色いハンカチ”は、高倉健がやくざ映画から久々の人情映画出演となり(同じ年に八甲田山を撮っている)、役者としての転機となった作品でした。勇作が久しぶりにビールを飲みラーメンをすするシーンでは、高倉は2日間何絶食して撮影に臨んだということです。

              ウィキペディア フリー百科事典 より

 

やくざ風の男でたこ八郎が出ています。たこ八郎はボクサーの経験があり、その時耳を切ったと記憶しています。赤塚不二夫の処に居候していて、みんなで海へ遊びに行ったとき溺れて亡くなりました。お酒を飲んでいたそうです。ユニークなコメディアンでした。

27日午後6時上映の“幸せの黄色いハンカチ”を、皆さんと一緒に楽しんでください。


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