商工春秋6月号に“垂坂山の春の景色”と題して水谷百蹟画伯の絵が掲載されています。
人々が春の陽気に誘われて野遊山をしている風景です。はるか先には伊勢湾や知多半島が見え、簾掛けの茶店に集まる人や、手持ち弁当を広げている人、楽しそうに踊っている人などがいます。垂坂山が四日市の人々の憩いの場となっているのが、よくわかります。
(四日市市立博物館蔵)
垂坂山は、小学校遠足の定番コースでした。山手中学を左手に見て西に歩くとつきあたりが垂坂山。そこを登った山頂(低い)で昼食でした。食後は南側の斜面にある防空壕跡を探検。崩れると危険だと先生に注意されました。
垂坂山の北西に垂坂の村があります。知人の話では、ここに分校があったとのこと。そう云えば山に囲まれた盆地になっていて、静かな山あいの僻地だったのでしょう。今でもその名残が見られて、村の西側奥に天台宗の観音寺があり、歴史の古さが想像されます。
現在1軒となった麹屋、伊藤商店さんが持光寺の山門前にあり、甘酒や麹味噌を造ってみえます。
昭和30年ころは。ここから自転車の行商が「麹味噌〜、金山寺味噌〜、からし漬けェ〜、福神漬けェ〜」と言って、早朝の町を売り歩いていました。
人々が春の陽気に誘われて野遊山をしている風景です。はるか先には伊勢湾や知多半島が見え、簾掛けの茶店に集まる人や、手持ち弁当を広げている人、楽しそうに踊っている人などがいます。垂坂山が四日市の人々の憩いの場となっているのが、よくわかります。
(四日市市立博物館蔵)
垂坂山は、小学校遠足の定番コースでした。山手中学を左手に見て西に歩くとつきあたりが垂坂山。そこを登った山頂(低い)で昼食でした。食後は南側の斜面にある防空壕跡を探検。崩れると危険だと先生に注意されました。
垂坂山の北西に垂坂の村があります。知人の話では、ここに分校があったとのこと。そう云えば山に囲まれた盆地になっていて、静かな山あいの僻地だったのでしょう。今でもその名残が見られて、村の西側奥に天台宗の観音寺があり、歴史の古さが想像されます。
現在1軒となった麹屋、伊藤商店さんが持光寺の山門前にあり、甘酒や麹味噌を造ってみえます。
昭和30年ころは。ここから自転車の行商が「麹味噌〜、金山寺味噌〜、からし漬けェ〜、福神漬けェ〜」と言って、早朝の町を売り歩いていました。