「旧四日市を語る会」岡野繁松編集 第1集より 四日市祭り
2学期になると、諏訪さんの祭りの事で頭がいっぱいであった。遠くからやってくる親類の者に会えること、小遣いが貰えること、学校が休みになること、いつもは食べられない寿司などのご馳走が食べられること、いい着物が着られること等などである。しかし、それまでには家の掃除、片づけを手伝わなければならないことである。そのひとつに、障子、れんじ洗いがあった。
障子、れんじなどを家族総出で三滝川へ運ぶ。川に中にしばらくつけて紙のふやけるのを待って洗い出す。亀の子たわしに磨き砂をつけてごしごしと洗う。力を入れすぎると障子の桟が折れるのでやかましく注意をされた。子供はざっとした洗い方なので大人がそのあとを洗いなおしていた。
洗い終わると川原で乾かす。この時になると子供は俄然元気が出てきて川の中へ。親も濡れてしまっている服にとやかく言わなかった。乾くまでのひと時、川原に腰を下ろしてのひと時一家団欒の光景があちこちに見られた。
揚げ寿司、巻き寿司、押し寿司(箱寿司)握り寿司等を造った。練のある町内では、いろいろな稽古を早くからしていた。おはやしの音に力が入ってくると祭りが近づいた印であった。高くて大きな観音開きの戸が開かれて、練りの屋台が出され、飾り付けがされて祭りを待った。
9月25日は各小学校とも全児童が引率されて諏訪神社へ参拝に行きあとは放課となった。子供は晴れ着に着かえ諏訪さんへ出かけた。練りを持つ町の者は法被に着替えて町練りに参加した。旦那衆や商家ではれんじを外し、表座敷には赤毛氈を敷き、生花をいけ、金屏風を立てて酒肴を振舞った。太い竹で組んだものを置いたりもした。練りに祝儀を渡すと木札が立てられ、練りがその前で演技を披露した。
諏訪神社の本殿前には、氏子の町の提灯が挙げられた。境内には多くの露店商が並び、公園には露店商、屋台、見世物、遊戯店があった。サーカス、ろくろく首、覗き、綿菓子、ういろう、みたらしだんご、ラムネなどの飲食、玩具、手芸品、学用品、射的、輪投げ等の店が並ぶ。ういろう屋は今年もここというように大体同じ場所に張っていた。また、新道などの町筋にも多くの露店商が店を張っていた。香具師の口上は分からなかったのに面白く聞いた。
大名行列には頼朝さんが馬に乗っていた。この頼朝さんに触ったり抱いたりすると、出世するというので姐さん連中は競って抱いたりした。北町清繁の姐さん連は、熱心に抱いたりしていた。南町にある森看護婦会の前の空き地には祭りの救護所が設けられた。
諏訪神社に入るとすぐ左側に二台の大山車の姿が目に浮かぶ。新田、浜田の大山車ではなかったか。高さが四間以上もあり、仰向いてもまだ上が見えないので、ずっと後ろへさがり背伸びをして眺めたものだった。大きすぎて町の中を曳くことが出来なかったので飾ってあるのだと聞いていた。