商工春秋7月号が発行されました。今月は“知られざる四日市の面影”として水谷百碩氏による「四日市十二景より 昌栄新田の潮干狩りの様子」が掲載されております。
昌栄新田は現在の尾上町から末広町にかけての地域です。画面の左手には高砂町から伸びる四日市港の防波堤が描かれています。右手には同じ十二景のひとつ旧四日市浜之景にも描かれている松原がありおだやかな陽気の中で、人々が潮干狩りに興じている様子がうかがえます。
百碩氏は明治大正を生きた人です。明治17年には稲葉三右衛門氏が四日市港を開港させており、この風景は尾上町あたりから伊勢湾を望んだものでしょう。
その後、四日市港の埋め立て工事がすすみ、末広町が大正6年、千歳町は大正14年、石原町は昭和3年に完成しました。
昭和11年3月“国産振興四日市大博覧会”が千歳町で開催されて、ここの景色もすっかり様変わりすることとなります。
昌栄新田は現在の尾上町から末広町にかけての地域です。画面の左手には高砂町から伸びる四日市港の防波堤が描かれています。右手には同じ十二景のひとつ旧四日市浜之景にも描かれている松原がありおだやかな陽気の中で、人々が潮干狩りに興じている様子がうかがえます。
百碩氏は明治大正を生きた人です。明治17年には稲葉三右衛門氏が四日市港を開港させており、この風景は尾上町あたりから伊勢湾を望んだものでしょう。
その後、四日市港の埋め立て工事がすすみ、末広町が大正6年、千歳町は大正14年、石原町は昭和3年に完成しました。
昭和11年3月“国産振興四日市大博覧会”が千歳町で開催されて、ここの景色もすっかり様変わりすることとなります。