昭和59年、諏訪公園の入り口に「だるまや」があった。猿の檻の並びである。「うすやき」とか「ねぎ焼き」と呼ばれていて、鉄板に小麦粉を丸く敷き、刻んだネギを散らす。鰹節をかけソースをつけて半分にたたむ。子供の頃はこれをお好み焼きと呼んでいたので、本物のお好み焼きがこれほどうまいものとは思わなかった。前回掲載のサタンとの戦いの様子。
そして現在。鉄人も大きくなっている。
昭和32年、近鉄四日市駅が出来た頃。街の成長を見守る鉄人。
昭和59年、諏訪公園の入り口に「だるまや」があった。猿の檻の並びである。「うすやき」とか「ねぎ焼き」と呼ばれていて、鉄板に小麦粉を丸く敷き、刻んだネギを散らす。鰹節をかけソースをつけて半分にたたむ。子供の頃はこれをお好み焼きと呼んでいたので、本物のお好み焼きがこれほどうまいものとは思わなかった。前回掲載のサタンとの戦いの様子。
そして現在。鉄人も大きくなっている。
昭和32年、近鉄四日市駅が出来た頃。街の成長を見守る鉄人。