早速Tさんから感想をいただきました。ありがとうございました
この作品は音声に頼らずとも、一生懸命に“視る”ということで、内容を深く理解できる証明となった一作ではないでしょうか。
演ずる一人一人も体全体を使って伝えたいことを表現していたように思います。主人公の兄弟を始め、悪童や御用聞きの小僧さん達が生き生きとしていたこと。子供達は天性の役者ですね。特に弟役の子はプロの役者でしょうか、突貫小僧という芸名でしたね。その素晴らしい演技は他の追随を許しませんでした。相手を小馬鹿にする時のポーズは、後の赤塚不二夫のマンガに登場する、イヤミ氏の“シェー!!”を連想させました。
昭和初期の東京郊外の風景・・・広い原っぱ。雨降りでぬかるみ、晴れては土埃が舞う細い道、林立する電信柱と工場の煙突、チョコチョコ往来するおもちゃのようなたった一両の電車(でも立派に複線)と遮断機の組み合わせ。
子ども達の生活に目を向けると・・・小学校は男女別々、給食は無し、授業も読み書き重視でキョーレン(教練)が必須科目?放課後はよ〜く遊び、着たきり雀の穴の開いた手編みセーター等、貧しい時代でしたが、大人の行動をじっと観察し、仲間との遊びを通して生きて行く知恵を身につけて、たくましく生きていこうとしていたのですね。
戦後の日本の復興の目ざましさは世界の驚異となりましたが、今となっては沢山の問題が浮き彫りになっていますね。子ども達が生き生きと過ごせる世の中にしなくては・・・・・
もう二度と戻ることの出来ない時代を、この作品で見せていただき。大変いとおしく感じました。ありがとうございました。
小津監督の作品の三分の二がサイレント映画です。むしろサイレントでその力量が培われたと思われます。ですから役者は大げさな演技で表情を出さなければなりませんでした。突貫小僧は、母親のスナックで遊んでいたのを「子供がこんなところに居たんじゃダメだ。撮影所へ遊びに来い」といわれ、そこで映画に出演したのがきっかけです。監督に才能を見出されたわけです。
世相は暗い方向へ進んでいきますが、子ども達はそんなこととは関係なく、たくましく生きていった。小津監督の言いたかったことでしょうか。
この作品は音声に頼らずとも、一生懸命に“視る”ということで、内容を深く理解できる証明となった一作ではないでしょうか。
演ずる一人一人も体全体を使って伝えたいことを表現していたように思います。主人公の兄弟を始め、悪童や御用聞きの小僧さん達が生き生きとしていたこと。子供達は天性の役者ですね。特に弟役の子はプロの役者でしょうか、突貫小僧という芸名でしたね。その素晴らしい演技は他の追随を許しませんでした。相手を小馬鹿にする時のポーズは、後の赤塚不二夫のマンガに登場する、イヤミ氏の“シェー!!”を連想させました。
昭和初期の東京郊外の風景・・・広い原っぱ。雨降りでぬかるみ、晴れては土埃が舞う細い道、林立する電信柱と工場の煙突、チョコチョコ往来するおもちゃのようなたった一両の電車(でも立派に複線)と遮断機の組み合わせ。
子ども達の生活に目を向けると・・・小学校は男女別々、給食は無し、授業も読み書き重視でキョーレン(教練)が必須科目?放課後はよ〜く遊び、着たきり雀の穴の開いた手編みセーター等、貧しい時代でしたが、大人の行動をじっと観察し、仲間との遊びを通して生きて行く知恵を身につけて、たくましく生きていこうとしていたのですね。
戦後の日本の復興の目ざましさは世界の驚異となりましたが、今となっては沢山の問題が浮き彫りになっていますね。子ども達が生き生きと過ごせる世の中にしなくては・・・・・
もう二度と戻ることの出来ない時代を、この作品で見せていただき。大変いとおしく感じました。ありがとうございました。
小津監督の作品の三分の二がサイレント映画です。むしろサイレントでその力量が培われたと思われます。ですから役者は大げさな演技で表情を出さなければなりませんでした。突貫小僧は、母親のスナックで遊んでいたのを「子供がこんなところに居たんじゃダメだ。撮影所へ遊びに来い」といわれ、そこで映画に出演したのがきっかけです。監督に才能を見出されたわけです。
世相は暗い方向へ進んでいきますが、子ども達はそんなこととは関係なく、たくましく生きていった。小津監督の言いたかったことでしょうか。