答えは、辻写真館さんとスワン美容室さんとの間に、諏訪駅の八王子線に抜ける路地がありました。これは諏訪駅側から撮った同じ昭和33年7月21日の写真です。
諏訪駅跡地側から。右端に柏屋さん横を入る狭い通路がみえます。路地には“稲葉屋旅館”や“スワ理容”が建っていました。諏訪駅と四日市劇場間の通路として多くの人が利用していました。
昭和30年代の高度成長期を境に世の中が大きく変わった。それまでは、明治期以来の生活を引きずっていたようなものだ。“写真でみる日本生活図引”全8巻は、昭和30年代以前の日常の風景を掲載し、写真の細部に番号を付け説明したものである。(四日市市立図書館蔵 書庫)
レモン色の町クイズ ⑧で紹介した“五畳半の住まい”の詳細があった。昭和40年4月 東京都中野区にある“木賃アパート”渡部雄吉氏撮影
①布団はたたんで押し入れに入れるのではなく、部屋の隅に積んでカバーを掛けた。
④ 四つ玉のそろばん
⑤ 周囲に房の付いた敷物。その下にはテレビがあるのか?
⑦ 父親が会社から持って帰った伝票
⑧ 円形の卓袱台
⑨ タバコの“新生”は中級品だそうで・・・
⑪ パイプ印の徳用マッチ
⑫ 作業着のままの父親 右腕がないので左手で書く
⑰ 文机 下に本が積んである
⑲ 教科書やノートが立ててある
㉔ 習字道具が入れてあるカバン
㉙ 靴箱、石鹸箱、ガラス瓶などがのる棚
㉞ 出入口か又は、便所の戸
㊱ 足のない1枚板のまな板
㊳ アルマイト製のおろし金
㊸ 糠みそに漬けた蕪を出す
㊻ キッコーマンの醬油瓶と量り売り用の一升瓶(油か?)
㊽ 練炭用の七輪
そして、お父さんの後ろにはアルマイト製の蒸し器があります。このページの結びとして『部屋はよく整理されて、無駄なく使われている。貧しい一家ではないようである。』とあった。繰り返すが、オリンピック等で、東京への流入人口が急激に増えたため、住宅対策が間に合わなかったのだ。もうひとつさかのぼって、江戸期の長屋暮らしもこんな広さだったが、什器備品はもっと少なかったはずであります。