<臨時ニュース>ユーチューブを検索しておりましたところ、秋田本線の峰吉川駅付近で、標準軌道と狭軌が同じレールを走る分岐器の様子が出ておりました。是非、ご覧ください。
(54) レアな分岐器・特殊な分岐器と通過シーン6【少し解説】 - YouTube
コピーで鮮明ではありません 三重交通観光社のバス停が見えます
国道1号線の舗装工事の様子を辻さんが残してみえます。当時はマス目状に板で仕切りコンクリ―を流し込みました。少しずつ舗装箇所を拡げていったのです。宝屋さんと喜久屋さんの間の道に“水都タクシー”のネオンアーチが架かっていました。懐かしいです。
ここを旧東海道が横切っていました。
終戦後 数年間、人々は竹の子生活を余儀なくされました。生きていくために、竹の子の皮を剝ぐように、自分の衣類や家具などを売って食いつないだのです。その中には、商売上手な人もいましたが、自尊心あるいは羞恥心からなじめない人もいました。昭和21年2月17日、“金融処置法”が施行され、一時的ではありましたが預金の出し入れが出来なくなったことがあったそうです(私は、預金がないから怖くもありませんが・・・)。戦争が生み出すものは悲劇しかありませんね。
これも見ていてつらい写真です。“写真でみる日本生活図引 あきなう”より 図書館で借りれます(書庫)。
① 子供と共に乗せてきたのか乳母車であります。
② ガラス瓶に入った煎餅が商品。
③ 戦時中からの標準服を着ている若い母親は、子供を遊ばせながら客を待っています。
⑥ ままごとをして遊ぶ子供。
⑦ 絵本を読んで聞かせている。そばにはおもちゃの救急車。
いかがわしい物売りも多かったと想像できますが、これは買い求めたくなる雰囲気です。