昭和39年9月15日にオープンした、スワ百貨店の屋上ビアガーデンの様子です。
近鉄百貨店、オカダヤ、スワ百貨店、後にプラトンホテルと、あちこちの屋上にビアガーデンがありました。
左遠くに光るのは、商工会議所屋上に設置された“東芝”のネオン塔です。四日市公害が問題になっていたころで、空の煙が気になるところです。
“写真でみる日本生活図引”より“あきなう”
雇われて働きたいと思う者が、自ら立って雇われる市を“奉公市”あるいは“人市”といわれ、近年まで全国のあちこちで行われていたそうだ。これはまかり間違えば人身売買になりそうである。
若勢市の“若勢”は、若い衆の意味で、旧暦12月25日朝市の一角で行われた。昭和10年代には女も立ったといわれる。こちらを向いて座っている人々が和勢 ①②。恥ずかしいのか手拭いをかぶっている。気に入った若い衆が居ると手招きし契約米の希望を尋ね、折り合いがつくと酒を酌み交わす。契約書はなく酒で契約成立となる。契約は1年間、厳しい農家の労働だったが、雇われることで一人前とみなされるので、大きな農家の長男が“若勢”に出されることもあった。
① 若瀬近郊の農山村の次男三男が多かった。
⑦ 自分で作った蓑(みの)で、出来栄えが若い衆の評価になった。
⑧ 狩猟にかぶった鳥打帽
⑪ 自転車は裕福な農家が持っていた
山口県滝部の“奉公市”では、女性が嫁の資格として16歳ころから市に立った。こうしてみると、狭い世間である。成人になるための修養の場として市が利用されていたようだ。まずは、ひとあんしん。