「ようやくテレビが我が家に来た」と思いきや、カラーテレビ放送が始まったのは昭和36年だった。皇太子ご成婚の年である。お父さんは大枚をはたいて買い求めたテレビが、早くも流行遅れの憂き目になりそうだったが、カラーテレビの普及にはあと10年ほどの月日が必要だった。昭和39年の東京オリンピック放送は、まだまだ白黒テレビの時代でありました。さて、問題です。カラーテレビ放送が開始されたのは、日本は世界で何番目だったでしょうか?
A.3番目 B.5番目 C.7番目 D.98番目
カラー初期、新聞の番組表には“カラー”を示す記号が表記され、番組の冒頭には“カラー放送”のマークが表示され「カラーテレビを買いなさい」との号令は、世のお父さんたちを悩ませた。
昭和39年、東海道本線の輸送量逼迫への対策で、東京―新大阪間に広軌高速鉄道を別線で敷設することが計画された。夢の超特急“新幹線”の登場である。さて、問題 フル規格の新幹線路線で踏切が唯一あるところは、どこか?『エーッ!新幹線に踏み切りがあるってぇ?それでは危なすぎるよ!』カンカンカンとなって遮断機が下りる。買い物のおばさんが自転から降りて“こだま”の通過を待つ?
A.東京都 B.愛知県 C.静岡県 D.三重県
昭和39年は、新幹線をはじめ、首都高速道路や東京モノレールなど交通インフラの整備が進められた年でした。
『懐かしの 昭和30年代』宝島社刊 定価1100円 を参考にさせていただきました。