2月28日朝の“チコちゃんに叱られる”で、四日市市立博物館副館長の広瀬毅さんが出演、解説されていました。お題は、“なぜ羽田に飛行場が出来たのか?”
四日市の浜田に生まれた玉井清太郎は、竹とんぼからヒントを得て飛行機の制作にかかる。
大正1年2月18日、四日市末広町埋め立て地において、清太郎は発動機試験のため滑走路を走る実験を行う。
大正1年11月、千葉県稲毛海岸試験場にて、水上機の失敗を教訓に陸上機の試運転を行う。
大正6年5月20日、日本初の3人乗り機を完成させて、東京芝浦埋め立て地にて飛行するも墜落。兄は帰らぬ人となった。
こうして 翌 大正7年、兄の遺志を継いだ弟 玉井藤一郎は、羽田飛行機研究所を芝浦埋め立て地に設立した。