玉井清太郎は明治25年6月11日、四日市市浜田に生まれる。父は元氏族。幼少から大空にあこがれ26歳の大正6年、日本飛行学校の創設に参画、教官となったほか、自ら飛行機に設計、製作を行った偉人である。写真は仏グノーム50馬力搭載の玉井式前の3号前の玉井清太郎(大正6年)で当時26歳。
玉井式単葉機試作
玉井清太郎は18歳の時(円内の写真)自宅工場で玉井式単葉陸上飛行機を設計、製作。明治43年8月、母校の四日市市浜田小学校で組み立てた。
「三重百年」中日新聞社刊(提供:商連会長)
兄の遺志を継いだ玉井藤一郎
大正6年5月20日、兄清太郎が東京・芝浦で墜落惨死した後を受け、飛行機の設計、製作に心血を注いだ。同8年には自作の「青鳥号」で四日市に飛来、兄の果たせなかった郷土訪問飛行を追善飛行として行った。写真は自作の玉井式24型機(ローン120馬力搭載)前の藤一郎。大正10年1月、28歳
昭和40年代?の浜田小学校の航空写真 プールはまだ出来ていない(提供:前田憲司氏)