黒沢明監督の“生きる”(昭和27年公開)は、昭和キネマの集いで是非上映したかった映画でしたが、レンタルリストに載っていなかったため断念しました。時代劇が多い黒澤監督の作品の中でも、橋本忍脚本による“生きる”は、素晴らしいヒューマンドラマに仕上がっています。
某市役所の課長である志村 喬演ずる渡辺勘治は、定年に向かって文字通りハンコを押すだけの“死んだような生活”を送っていました。自分の胃がんに気づくまでは…
余命が幾ばくも無いことを知った渡辺は、市役所を休み一時の享楽に走りますが、残ったのは虚しさだけでした。
さて、ここ市役所に“小田切とよ”という女性がいました。明るい性格のとよに渡辺は余命を生きるすべを求めます。そして、彼女は“モノを作る喜び”を教えます。
ここで一気に本人渡辺の通夜の日に映像が移り、参列の人々は渡辺が成した仕事のことを話し合います。それは、水溜りの暗渠を埋めて公園を造ることでした。住民からの要望は以前からあったのですが、役所内の無責任感からたらい回しにされてきた案件でした。人が変わったように渡辺は、公園造りに邁進します。あらゆる警告や妨害にめげることなく。
そして、雪の降る或る夜、渡辺は出来上がった公園のブランコで“ゴンドラの歌”を口ずさみながら息を引き取ったのでした。
だらだらと無難に生きることが、大切な人生の過ごし方でしょうか?この映画はそんなことを語りかけてくれます。60年以上も前の作品でありながら、提起される問題は、現在でも新鮮です。