最初に寄った“永観堂 禅林寺”は“みかえり阿弥陀如来像”としても有名です。
本尊の前にはこう記されておりました。
みかえりの阿弥陀さま
「この“みかえり阿弥陀如来像”のお姿勢を現代に問うならば おくれるものたちを待つ姿勢!自らの位置をかえりみる姿勢!愛や情けをかける姿勢!思いやり深く周囲をみつめる姿勢!衆生とともに正しく前へ進むリーダーの把握のふりむき!真正面からおびただしい人びとの心を濃くうけとっても なお正面にまわれない人びとのことを案じて 横をみかえらずにはいられない姿勢!これがこの仏さまのみ心ではないだろうか」
ありがたいことであります。
佳つ實さん
さて、祇園花見小路の美登幸さんで京料理をいただき、舞妓さんを拝観いたしました。
その後、約2時間30分のフリータイムとなり、ひろっさんの勧めで養源院へと出かけました。
養源院
「養源院は、三十三間堂の東に隣接するお寺です。関が原の前哨戦ともいわれる伏見城攻防戦で鳥居元忠以下1000人余りが城を死守し,最後に自刃した廊下の板の間を供養のために天井としたもので、武将達の遺体は、残暑の残る8月から9月中旬まで放置されていたと言われ、そのため今も生々しい血の痕があちこちに残る。同じ血天井は宝泉院・正伝寺・源光庵にもあるが、生々しさでは養源院が一番といわれる。崇源院の秀吉への憎しみを表しているといわれる」
とのこと。なるほど天井を見上げると、元忠と伝わる人の形が血型で見受けられ、手の跡もありました。オソロシヤ
寺院内は薄暗く「電灯のなかった昔は、自然光が頼りだったんですね」と僧侶にお尋ねしたところ「そのために、壁を白くしたりして工夫をしておりました」とのお答えがありました。
婚礼の列
清水寺まで戻り、八坂神社前の商店街を散策。八坂神社では婚礼に出合ったりして、京都での一日を満喫して帰ってまいりました。
日帰りで京都へ出かけられることは幸せなことであります。
本尊の前にはこう記されておりました。
みかえりの阿弥陀さま
「この“みかえり阿弥陀如来像”のお姿勢を現代に問うならば おくれるものたちを待つ姿勢!自らの位置をかえりみる姿勢!愛や情けをかける姿勢!思いやり深く周囲をみつめる姿勢!衆生とともに正しく前へ進むリーダーの把握のふりむき!真正面からおびただしい人びとの心を濃くうけとっても なお正面にまわれない人びとのことを案じて 横をみかえらずにはいられない姿勢!これがこの仏さまのみ心ではないだろうか」
ありがたいことであります。
佳つ實さん
さて、祇園花見小路の美登幸さんで京料理をいただき、舞妓さんを拝観いたしました。
その後、約2時間30分のフリータイムとなり、ひろっさんの勧めで養源院へと出かけました。
養源院
「養源院は、三十三間堂の東に隣接するお寺です。関が原の前哨戦ともいわれる伏見城攻防戦で鳥居元忠以下1000人余りが城を死守し,最後に自刃した廊下の板の間を供養のために天井としたもので、武将達の遺体は、残暑の残る8月から9月中旬まで放置されていたと言われ、そのため今も生々しい血の痕があちこちに残る。同じ血天井は宝泉院・正伝寺・源光庵にもあるが、生々しさでは養源院が一番といわれる。崇源院の秀吉への憎しみを表しているといわれる」
とのこと。なるほど天井を見上げると、元忠と伝わる人の形が血型で見受けられ、手の跡もありました。オソロシヤ
寺院内は薄暗く「電灯のなかった昔は、自然光が頼りだったんですね」と僧侶にお尋ねしたところ「そのために、壁を白くしたりして工夫をしておりました」とのお答えがありました。
婚礼の列
清水寺まで戻り、八坂神社前の商店街を散策。八坂神社では婚礼に出合ったりして、京都での一日を満喫して帰ってまいりました。
日帰りで京都へ出かけられることは幸せなことであります。