昭和30年代の頃の三和商店街(四日市市の今昔 樹林社刊より)の写真があった。横には丸武家具店が並び、北へ銀座通りのアーチを抜けて本町へ出る。向かいにはレストランコトブキが建つ。
まちかど博物館の水谷さん提供の写真。昭和29年、西駅前で練る明神丸。向こうに国鉄四日市駅のホームが望める。岡野さんの配置図そのままです。
昭和30年代の本町踏切り。船のアーチがなつかしい。太白永餅さんはそのまま。向かいには丸武さんが建つ。開かずの踏切りには踏切番さんがいた。小便(大便を含)はどうしていたのでしょう?
追記 今気付いたのですが、小屋の左に立つ、斜めに傾いた筒は、トイレ用回転式排気筒ではないでせうか?大きめの小屋だったので、半畳ほどの便所が付いていたのかも知れません。が、向こうの電柱も傾いている。ムム、謎です。
時代はさかのぼって昭和25年。榎本健一と笠置シズ子のお染久松の映画が封切られ、港座前での記念撮影。よく見ると諏訪新道の「のんきや」さんの前掛け姿、のんきやさんは真っ白な砂糖が山とかかったぜんざい等で大繁盛でした。
港座は戦後、映画劇場 四日市東宝となりました。昭和37年、四日市ロケが行われた赤木圭一郎主演の「電光石火の男」が再上映されています(封切り35年)
港座前の路地は戦前、港小路と呼ばれ大変な賑わいだったそうです。路地の向こうに港座がありました。
※ 昨年出版された「四日市市の今昔」樹林社刊 から盗用させていただきました。感謝!