今日の、諏訪公園南沿い通り。トラックが待機している。多分、すずらん通りで解体中(笹井屋レストラン、その後、紳士服のヤマモトになった)の建物の瓦礫を運ぶ車だと思う。
下の図は、岡野繁松氏が描いた諏訪公園の図。市民壇が造られているから昭和初期、戦争以前の図だ。公園側には西から、ブランコ、鉄棒、クマと猿の檻、そして茶屋のようなものだろうユウリン亭とある。南側には空き地が広がっていてお祭りなどにはサーカスが来た。その先に明治天皇行幸記念館があった。
クマはいなくなり猿の檻が残った。昭和40年代頃まであったのではないだろうか。こんな話を披露している。結構受けがいいので何度でもしている。浅草お茶の間寄席で仕入れたのをアレンジした。
昭和18年7月18日。ここにあった猿の檻に、台湾から台湾猿5頭が来ることになった。当日、公園課の課長さんは喜び勇んでやって来たが、なんと、その中にニホンザル1頭が混じっているではないか。課長さんは怒った「約束が違う!」と。
その返事は、「1頭は、通訳デス!」
昭和43年のゼンリン地図