カンバック!昭和商店街12
昭和32年5月13日 雨上がりの道を、勤め帰りの二人が通る。諏訪公園南の麻生医院前(現在はコインパーキングになっている)から三番街に向かって撮られた写真だ。...
View Article映画「来る」上映間近!
よっかいちフィルムコミッション様が、パンフを作っていただいた。 大道具さんがみえて、仏壇を飾りたいとの御依頼があったのは今年の2月頃か?新品ではいけないということで、探した。そして納品。床の間横を仏間に仕立て、畳を傷つけないように、大道具の皆さんと共に慎重に収めた。これは飾り付けの様子である。...
View Articleカンバック!昭和商店街13<グリーンモール>
昭和34年12月30日。明日は大晦日。諏訪花園前はお正月用品の買出しの人でいっぱいだ。諏訪劇場側から撮られた写真。 この年の9月、伊勢湾台風が東海地方を襲った。そんないやな思いを払拭するかのように人々は買い物に走る。諏訪花園の南隣が増田屋菓子店、諏訪中央商店街(現在のグリーンモール)寄りに子鳩洋装店、三重興農社、早川荒物店と並ぶ。 昭和43年のゼンリン地図...
View Articleカンバック!昭和商店街14
諏訪中央商店街(現グリーンモール)は思い入れが深い。下の図は昭和32年頃の街区図である。右が北になっているのでご容赦いただきたい。 浜田小学校への通学路だった。内山君の家には早くからテレビがあった。当時テレビのない子供は、内山くんの店に押しかける。晩御飯になると嫌な顔をされるが、一向にかまわない。食べている横で一心不乱に観続けた。 本日のグリーンモール...
View Article恒例!年末恵比寿スペシャル
今年9月、商店連合会から出かけた大津商店街連盟でイベント100円商店街を知った。早速、スワマエで模倣をさせていただくことにしたが、参加店は6店舗。幟を作る費用も出ない、ということで・・・百円商店街を百円市に変更。コピー紙にて制作した。...
View Articleカンバック!昭和商店街15
今日の、諏訪公園南沿い通り。トラックが待機している。多分、すずらん通りで解体中(笹井屋レストラン、その後、紳士服のヤマモトになった)の建物の瓦礫を運ぶ車だと思う。...
View Articleカンバック!昭和商店街16<すずらん通り3>
北京飯店は、私が20代の頃商店街の会合で行ったから、昭和50年頃まであったと思う。中華そばを食べるのは、嶋口屋だったので、北京飯店のラーメンは麺が細くて本場の味がした。唐揚げ、炒飯、餃子が定番だった。2階も食堂で板の床だった記憶がある。そういえば北京飯店で火災が発生した。戦後の古い建物では、しばしば漏電火災があった。それがきっかけで閉店したのではなかったかと思う。 今日のすずらん通り...
View Articleカンバック!昭和商店街<スワマーケット1>
昭和33年7月18日、諏訪駅が立ち退いた跡を東に見る。諏訪劇の看板をくぐってまっすぐ行くと、右に三泗百貨店(現サンシ)がある。三泗百貨店前に並んでいた線路を背にした小さな店の並びは、取り壊される。キタオカの角に堀田美容室。その向こうに少しさがって、草野洋服店が建つ。堀田美容室の建物は現在のままだから、草野洋服店が前へ出てきたことになる。一番街の通りが作られつつある頃だ。...
View Articleカンバック!昭和商店街18<スワマーケット2>
昭和33年7月18日、凌霜書房前の様子。凌霜書房は、諏訪百貨店、通称スワマーケットの入り口にあった。雨上がりのマーケット前。駅は無くなっていて、建て替えの相談が始まっている頃だ。経営者は、白揚書房の木村さんの母方のおばあさんだそうだ。『の』ばかり並んで申し訳ない。...
View Articleエキサイト四日市・バザール2019始動!
エキサイト四日市・バザール2019が始動はじめました。まず、2回に分けて、先日伺った円頓寺商店街の『パリ祭』と、平成4年に開催された『オープンバザール』の画像を見ながら、採算面で大成功の円頓寺と、52万人と規模で大成功した第1回を検証、バザールの魅力と改善点を話し合いました 。 まとめには、すわ公園交流館の水谷氏のお世話になったこと御礼申し上げます。...
View Articleカンバック!昭和商店街20<精養軒の角>
諏訪駅前の映画の看板から南(右へ)方向へ路地を進む。 昭和32年7月26日、暑い日の午後、辻写真館から東を見る。グランドホール、万惣と並び正面が精養軒。精養軒の左隣があかもん、田中産婦人科、白揚と狭い道になっていた。そこを出ると左が諏訪駅。この時、諏訪駅は近鉄四日市駅へ移転していた。...
View Articleカンバック!昭和商店街<諏訪劇場1>
昭和32年9月26日、諏訪劇場前の様子だ。今、片岡知恵蔵の大菩薩峠が再映されている。東映スコープ、総天然色。机龍之介が大菩薩峠で旅の親子を切り殺すところから始まる。暗く重い印象があった。...
View Articleカンバック!昭和商店街<諏訪劇場2>
昭和32年4月27日。近鉄四日市駅が開業した頃。なんと美空ひばりが諏訪劇場へ来ていた。こわもてのお兄さんがこちらを見ている。今夜は特別な夜だ。ひばり見たさに、たくさんの人が押しかけた。大盛況と裏腹にあたりには緊張が走る。この年の1月13日、美空ひばりは東京の国際劇場で塩酸をかけられる事件に遭遇したばかりだ。...
View Article賀状
賀 状 長田 弘 古い鉄橋の架かったおおきな川のそばの中 学校で、二人の少年が机をならべて、三年を 一緒に過ごした。二人の少年は、英語とバス ケットボールをおぼえ、兎の飼育、百葉箱の 開けかたを知り、素足の少女たちをまぶしく 眺め、川の光りを額にうけて、全速力で自転 車を走らせ、藤棚の下で組みあって喧嘩して、 誰もいない体育館に、日の暮れまで立たされ た。...
View Article明けましておめでとうございます
明けましておめでとうございます。本年も稚拙ブログ「花の四日市スワマエ商店街」をどうかよろしくお願い申し上げます。 昨夜、年明け早々の1番街です。 鵜の森神社 今朝10時ころのパーキング屋上からの眺め。諏訪新道 南方向 右のマンションが旧ジャスコ跡、近鉄四日市駅方面です 諏訪神社は、暖かな日となって大勢の初もうでの人で賑わっていました そして表参道スワマヱ。今年から「スワマエ オールド」を始めます
View Articleスワマエ オールド 1
東海道を江戸の日本橋から数えて43番目の四日市宿。夜明け前に立った旅人は、追分で京都と伊勢への道に分かれます。方や鈴鹿峠越えの難所、方や伊勢神宮へあと少しと・・・。 これは江戸に描かれた、東海道分間延絵図 四日市宿の絵です。 三滝川を渡るとすぐ四日市宿に入ります。ゆっくり坂を下るとそこは札ノ辻。四日市港へつながる浜往還と東海道の交差点でした。...
View Articleスワマエオールド2 古地図より
四日市宿の地図がある。1枚は寛文年間(1661年)。宿場を中心に町屋が道沿いに並んでいる。東海道沿いに諏訪神社あたりまで連なっているが、家屋の裏は田圃で新田町という名は見当たらない。...
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