昭和33年7月18日、凌霜書房前の様子。凌霜書房は、諏訪百貨店、通称スワマーケットの入り口にあった。雨上がりのマーケット前。駅は無くなっていて、建て替えの相談が始まっている頃だ。経営者は、白揚書房の木村さんの母方のおばあさんだそうだ。『の』ばかり並んで申し訳ない。
白揚書房前には「ぼくら」「少年画報」「おもしろブック」「少年」などの子供向け雑誌が月初めになると山積みされた。付録がたくさんついていて膨れ上がった本を紐でくくってあった。お正月号は特にすごかった。木村さんのお母さんが店頭に立つ。どれがいいか迷う。長い間迷って、目を盗んで付録を入れ替えた。叔母さんはそれを見抜いてもとへ戻す。気まずい空気が流れた。冬休みになると増刊号も出た。昭和34年、週間「少年サンデー」・週間「少年マガジン」が発売され、子供向けの月刊誌は徐々に姿を消していった。
本屋の前を出前帰りの小僧さんが通る。
どうやらマーケットの横に建つ「焼きそば・氷の柏屋」さんの小僧さんの様子だ。
昭和33年2月8日、日劇でウエスタン・カーニバルが開かれた。これは、アメリカのロックンロールブーム日本へ飛び火、ロカビリーの頂点をなすものだった。平尾昌章やミッキー・カーチスが「ビー・パップ・ルーラ」「ハートブレイク・ホテル」「ダイアナ」などを歌い、失神者が出る騒ぎだった。
この年、富士重工からスバル360が発売され、子供の間で流行したフラフープは品切れ状態だった。
昭和33年5月21日。マーケット前踏切跡の整備が進んでいる。路地の向こうに文芸春秋の看板の出ている白揚書房が見える。右に建つ前回掲載のマルモ物産は健在だ。