我が家の裏手(西方面)一帯は連鎖街と呼ばれていた。飲み屋通りである。戦後、神社が兵舎を買い受け境内に移築したのが始まりである。同じ四日市幼稚園の子が2階に住んでいて遊びに出かける。少し目の吊り上がった美少女であった。階下は小さな飲食店の並びで、お母さんはそこでスナックを経営していた。中央に木造の広い階段がある。ゴトゴト上がると、東側に小部屋が並ぶ。その一室が彼女の家だった。絵本でも見せてもらったような気がする。この地域はしばしば火災を起こした。漏電火災が多く、一旦燃えると瞬く間に火は広がった。現在、すべて新しく建て替わっているが、通りの広さや飲食店の並びは昔のままの雰囲気である。
煙波というお店の看板が見える
南隣の香蘭では子守をしている
マップの右中央に渡辺菓子店がある。正ちゃんとよくここへ寄った。カバヤやグリコのおまけが欲しくて、中身のキャラメルを一気に口へ放り込みオマケを楽しんだ。点数をためて送ると景品が届いた。ジェムストーンなどたいしたものはなかった。
ナショナルの看板から浅野デンキがあった
連鎖街を含めて、諏訪神社や諏訪公園等、『まちっこ』にはあらゆるところが遊び場であった。