カンバック!昭和商店街23<のんきやさん>
本町のまちかど博物館(水谷さん)から写真が届いた。いつも気にかけていただいている。ありがたいことだ。感謝の念に堪えない。さて、この写真はいったいどこか?日時は記されていない。いったい何時ごろか? 多くの看板が目に付く。北岡時計店の看板から北岡さんの近所?中央の看板からパチンコ屋さんの角のようである。右を見ると電球の並んだアーチ形の街路灯。ここは、諏訪南大通り(現...
View Articleカンバック!昭和商店街24<諏訪駅前>
辻さんの諏訪駅前を撮った写真。正面看板にある大映映画、菅原健司の「東京暴力団」と左の弥生館の志村喬主演の「男ありて」。これらから時は、昭和30年6月となる。15時過ぎか?梅雨の晴れ間の午後、帰路へ向かう女学生と、友達と遊びに出かける子供たちがすれ違う。朝の雨で地面は濡れている。...
View Articleカンバック!昭和商店街25<諏訪駅を通って>
これも本町の水谷さんからお預かりした。昭和29年9月、諏訪駅ホームの端から西方向を撮った写真。右へゆっくりカーブして名古屋へ向かう。まっすぐ伸びているのが湯の山線。右遠くに見えるのは天理教だろう。 昭和32年、諏訪駅が取り壊された荒涼とした跡地。前の写真より東へバックしている。のどかな風景が壊されたような気になる。...
View Article高校生議会開催される
本日の中日新聞より。1月26日、北勢地方から呼びかけに応じた高校生26人による「高校生議会」が開催され貴重な意見が掲載されていた。 「これからの公共交通を考える委員会」「帰ってきたい、ずっと住みたいまちづくり委員会」「どうなっているんだ?図書館委員会」の委員会に分かれて活発な討議がなされたとあった。特に図書館に関してはまさに的を得ていると言える。
View Articleカンバック!昭和商店街27<若紀久前>
昭和33年7月24日、二番街の若紀久の向かい角を撮った写真。辻氏は移り変わる街の風俗や生活をカメラに収めた。当時の雰囲気が色濃く出た作品だ。飲食店の裏路地でくつろぐ女性たち。夏の暑い一日が終わろうとしている。開店までまだ少し時がある。 昭和43年のマップ。水炊き若紀久 となっている。 時代は移り昭和61年のマップ。 20年ほど前の若紀久前。現在は、スターアイランド東側に移っている。...
View Articleカンバック!昭和商店街29<スワ百貨店開店>
昭和35年12月20日、スワマーケットの本格的な取り壊しが始まる。辻さんは自宅の2階から北東方向に解体工事をカメラに収める。上から見ると分かるが、スワマーケットは小さな店舗の集合体だ。焼け跡の諏訪駅前に小さな店が並び始め、雨除けの屋根でつながれてマーケットが出来上がっていった。...
View Articleカンバック!昭和商店街30<スワ百貨店2>
昭和37年9月5日、四日市の街に「四日市スワ百貨店」が誕生した。オープンの日には大勢の人が押しかけた。辻さんはカメラを携えて走り記録する。 その日の午後には、ひと段落した。百貨店の東と北側には花輪がずらりと並んだ。河合楽器、衆議院議員 山手満男、キングレコード 春日八郎、スワ百貨店1階親睦会。 10年ほど前の1番街 パチンコホームランとなっている...
View Articleカンバック!昭和商店街31<スワ百貨店3>
昭和39年9月15日、辻さんが撮ったスワ百貨店屋上ビアガーデンの様子だ。行く夏を惜しむかのようにビールを楽しむ人々の姿は、やや閑散としていて寂しい。この頃は、どこの屋上にもビアガーデンがあった。工場の煙が漂う中、左に明るいネオン塔が望める。商工会議所の屋上に建つ東芝のネオンである。...
View Articleカンバック!昭和商店街32<1番街>
昭和38年8月8日?、おかざきさん前から北方向、フクヤさん前交差点を撮る。左のカワムラセンターは工事中か?完成しているのか?43年には開業している。おかざきさんの向こうの看板、うなぎ・キリンビールは、やっこ寿司さんになる。...
View Articleカンバック!昭和商店街34<中央通りの謎>
昭和33年3月8日。駅前のボンネットバスを降りた人々は、小雨の中を駅へ走る。その横に番傘をさして歩く婦人。スチールヂーゼルと塚本病院の看板が立つ。バス停前には東洋電機やヤンマーディゼルの建物が並ぶのは、昭和27年3月25日から1か月間、中央通りで開催された講和記念四日市大博覧会(通称 農機具博)による影響だろうか。講和記念大博覧会は戦後、中央通り(70メーター道路)をステージに開催された。...
View Articleカンバック!昭和商店街35<中央通りの謎2>
中央通りが何時できたのか?調べていたら空襲前後の航空写真をWebで見つけた。りーべさんのツイッターから(りーべさん、掲載、心よりお詫び申し上げます)、当時の航空写真はとても貴重だとあった。どうやって手に入れられたのか?昭和20年6月、四日市は空襲を受け、市街地は壊滅的被害を受ける。空襲前と後の区画はほとんど変わってないので、2枚の写真は数年程の開きか?その割には、“空襲後”の写真の方が鮮明である。...
View Articleカンバック!昭和商店街36<中央通りの謎3>
空襲直後の空撮といっても、2~3年を経ているのではないか?かなり整地が進んでいる様子だ。瓦礫は小学校の校庭に集められた後、中央通りの埋め立てに使われたと旧四日市を語るにあった。空襲後の写真をよくよく見ると、中部西、中部東、浜田の校庭に碁盤の目のような道が付いている。中央通りの拡幅工事も進んでないところを見ると、車で運ばれた瓦礫の山ではないだろうか?と勝手な想像をした。 空襲後の航空写真...
View Articleカンバック!昭和商店街37<諏訪駅周辺>
四日市空襲(昭和20年6月頃)の空撮写真は、見ていて楽しい。アメリカ軍が撮ったものじゃないかと思う。昭和32年頃のマップを自分なりに作っていたのだが、北岡氏から諏訪駅の位置が違う。もっと西に寄っていたのではと指摘をいただいた。航空写真からその位置が推察できる。 まずは、諏訪駅の健在だった(昭和30年頃)駅前の様子を再掲載する。 左がトイレ。東向き 辻俊文さんの影が映る午後...
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