四日市空襲(昭和20年6月頃)の空撮写真は、見ていて楽しい。アメリカ軍が撮ったものじゃないかと思う。昭和32年頃のマップを自分なりに作っていたのだが、北岡氏から諏訪駅の位置が違う。もっと西に寄っていたのではと指摘をいただいた。航空写真からその位置が推察できる。
まずは、諏訪駅の健在だった(昭和30年頃)駅前の様子を再掲載する。
左がトイレ。東向き
辻俊文さんの影が映る午後
逆に駅方向を見た。右トイレ
次に、空襲後の諏訪駅周辺。
そして位置を書いてみた。暇だから何でもできマス。当店の場所が確認できる。空襲を迎えて、女子供は疎開させ、親父とお祖父さんが頑張って守った土地である。中町方面と違い、オタオタ逃げ惑う場所は残されていた様子だ。諏訪神社の防空壕へ避難した人々の多くは爆撃で殺された。
諏訪公園の南の空き地には、サーカス小屋が立った。後のカトリック教会は公園よりも南だった。後楽園と隣接している。プラットホームは意外と長かったようである。