次の写真は昭和7年4月、満州事変が半年で平定され、その凱旋部隊を諏訪公園に向かえた様子である。昭和2年金融恐慌が起き、4年には世界恐慌が勃発する。巷は不景気のどん底。ごく一部の大企業を除いては、不況にあえぐ企業が殆どだった。昭和9年、肥料や石炭を扱う実業家 村山清八は、熊澤図書館の西隣りに誓の御柱と、その南側に市民壇を建設する。満州への進出が不況脱出のカギとなることを願って・・・。この時は未だ誓の御柱は出来ていないが、こういった式典を行うには市民壇の必要性を痛感していたのだろう。
上空には巨大なタイムマシーンが飛来して、戦争に向かう日本の状況をうかがっている。隊列を見るとそれとなく式典に参加する遠藤平吉の姿がある。彼もまた時空移動号テスラ装置の搭乗者か?彼には、前回記載の通り、昭和24年に怪人二十面相との激闘が控えているのだ。<つづく>
国鉄四日市駅北側の一等地に村山肥料店が建つ。村山清八氏の店と想像できる
昭和9年以降の絵葉書より。(本町の水谷宣夫氏所有)