7月22日から中日新聞に特集が組まれている“四日市は問う 公害判決40年と福島事故”。この記事から改めて四日市公害と福島原発事故は同じ企業と住民の間に起きた環境破壊事件であることに気付かされました。
「しまった。あの経験は何だったのか」環境経済学者の宮本憲一さんは、原発事故の様子をテレビでみていて、1972年7月24日の四日市津地方裁判所での判決の様子を思い起こしていました。
23日の朝刊には、アメリカボンの谷田さんが写真入りで掲載されています。
谷田さんは40年前、9歳になる長女の尚子さんを四日市公害で亡くされています。公害告発の語り部として壇上に上がった谷田さんは、涙でとても話せる状態ではありませんでした。以来、講演を断り続けてきましたが、原発事故をきっかけに「ここで話さなければ尚子が犬死になってしまう」と語り始めたそうです。
街の発展のためと信じた企業に生活を奪われた家族。あの頃の自分たちが福島の事故と重なって見えた。
十年ぶりに語り部を務めた谷田は、涙を拭きながら最後まで話すことができた。「国も企業もお金ほしさばかり。それで尚子は死んでしまった。これ以上繰り返さないで」
視線を上げると聴衆たちも泣いていた。
「しまった。あの経験は何だったのか」環境経済学者の宮本憲一さんは、原発事故の様子をテレビでみていて、1972年7月24日の四日市津地方裁判所での判決の様子を思い起こしていました。
23日の朝刊には、アメリカボンの谷田さんが写真入りで掲載されています。
谷田さんは40年前、9歳になる長女の尚子さんを四日市公害で亡くされています。公害告発の語り部として壇上に上がった谷田さんは、涙でとても話せる状態ではありませんでした。以来、講演を断り続けてきましたが、原発事故をきっかけに「ここで話さなければ尚子が犬死になってしまう」と語り始めたそうです。
街の発展のためと信じた企業に生活を奪われた家族。あの頃の自分たちが福島の事故と重なって見えた。
十年ぶりに語り部を務めた谷田は、涙を拭きながら最後まで話すことができた。「国も企業もお金ほしさばかり。それで尚子は死んでしまった。これ以上繰り返さないで」
視線を上げると聴衆たちも泣いていた。