少年雑誌が月刊誌から週刊雑誌に変わった。昭和34年3月のことである。「少年サンデー」に続き「少年マガジン」が発刊。サンデーは長嶋茂雄、マガジンは朝潮が表紙を飾った。「快傑ハリマオ」は、石ノ森章太郎画で昭和35年4月17日の「少年マガジン」から連載が始まっている。
昭和30年代の諏訪新道、港まつりの様子。この頃は一宮から買い受けたステージの人形ではなく、笹飾りが主流だった。ハリマオが二人の老人を伴い見物に来ている。
少年雑誌が月刊誌から週刊雑誌に変わった。昭和34年3月のことである。「少年サンデー」に続き「少年マガジン」が発刊。サンデーは長嶋茂雄、マガジンは朝潮が表紙を飾った。「快傑ハリマオ」は、石ノ森章太郎画で昭和35年4月17日の「少年マガジン」から連載が始まっている。
昭和30年代の諏訪新道、港まつりの様子。この頃は一宮から買い受けたステージの人形ではなく、笹飾りが主流だった。ハリマオが二人の老人を伴い見物に来ている。