昭和11年、第2期四日市築港工事が竣工。欧米文明機械の依存から国産品が認められるようになった時代を背景に『国産新興四日市大博覧会』が3月15日から5月13日までの50日間、5万坪の埋め立て地で開催された。予算は70万円、これは市の一般会計に匹敵する額であった。博覧会は成功裏のうちに終え、来場者数は、当初の目標40万人を大幅に超過し、124万6千人に達した。
会場入り口、千歳橋を背に立つH氏(合成)
会場内の配置図
昭和11年、第2期四日市築港工事が竣工。欧米文明機械の依存から国産品が認められるようになった時代を背景に『国産新興四日市大博覧会』が3月15日から5月13日までの50日間、5万坪の埋め立て地で開催された。予算は70万円、これは市の一般会計に匹敵する額であった。博覧会は成功裏のうちに終え、来場者数は、当初の目標40万人を大幅に超過し、124万6千人に達した。
会場入り口、千歳橋を背に立つH氏(合成)
会場内の配置図