国産振興四日市大博覧会開催を積極的に進めたのは、内務官僚出身の市長 吉田勝太郎であった。市長は、工場誘致のためには、全国(全世界?)に向けての四日市と四日市港周知の必要があり、四日市港を千万円の巨費を投じて造ってくれた県や国に対する謝恩の意味もあると語っている。開催の為の協賛会は、四日市商工会議所が中心母体となり、会長には伊藤傳七郎会頭が就任した。
四日市(国鉄)駅前 歓迎門
さて、博覧会の展示内容は、主として国際商港・国産振興・輸出振興をアピールするように企画された。満州館・朝鮮館・台湾館・南洋館・海港館・東京館・愛知名古屋館・産業本館・三重県館・萬古焼陶器館・農林機械館・肥料館・羊毛工業館・蚕糸館・近代化科学館が会場に並び、これとは別に時局に合わせて国防意識や宗教普及のため、陸軍館・海軍館・赤十字間・三重県歴史館・仏教館(高田本山の地元である関係から、巨大な大仏が作られた)が設けられ、軍艦や潜水艦の拝観も行われた。
仏教館(地上高さ28m)
満州館(案内役の満州服の少女達)
(国防館:海軍館と陸軍館)
さらに、協賛会が直接経営するアトラクション施設や、鯨の潮吹きがみられる生鯨館・園芸館・国際色豊かな国際演芸館が展開された。
※写真集 四日市の100年・四日市史 より