大正5年10月初めの、ペスト災禍発生源となった東洋紡績工場はどこにあったのだろうか?大正11年の地図を見ると、国鉄四日市駅の北、線路に沿って建っていた。現在はコスモ石油の第一陸上出荷場となっている。ちなみに、線路西にあった東洋紡績社宅は、北条町の四日市グラウンドにあたる。
地図の右側に東洋紡績はあった
輸入された印度綿が原因で、約半年にわたり四日市にペストが広がったが、蔓延を防ぐには、ネズミの駆除・根絶が最大急務として、市は殺鼠剤の配布を行うとともに、1匹2銭〜5銭、有菌鼠には3円という高額な懸賞金がつけられた。結果、連日のように1,000匹以上が持ち込まれ、市が買い上げたネズミは59,347匹、金額にして8,608円22銭にのぼった。
防疫活動の様子
12月に入ってようやく終焉の兆しが見え、27日に諏訪神社にて消息報告会が開かれたのは前回記載の通りである。