昭和20年6月から7月にかけ 四日市は空襲で焦土となる。早朝 米軍の飛行機が市街を撮った。朝日に反射した屋根が白く光っている 下では瓦礫の方付けに追われているのか 疲労困憊しているのか 分からない。札ノ辻あたり 中心市街地の被害が特に目立つ。
店を守るために祖父と親父は四日市に残った 片付けが済んで 再開できるようになったら 疎開先から皆を呼び戻そう 二人はそう考えながら 木材をかき集めていたに違いない
街はすっかいり焼け野原となったが 嘆いていても始まらない 市民は飢えと闘いながら 立ち上がった
軍の土地を利用して民間企業が再建される 軍からもらい受けた資材を使い学校が建てられる 諏訪新道の拡幅工事が始まり 四日市の中心市街地が造られていく 生活用品を求めて周辺の人々は街へ集まってくる
現在のスワセントラルパーキングあたりから東に撮られた写真だ。道の左にはサナダヤ・鈴木屋 南側には岡田屋・靴のナゴヤ屋堂が並ぶ ここは四日市で1番の通りとなる