Quantcast
Channel: 花の四日市スワマエ商店街
Viewing all articles
Browse latest Browse all 2335

市井からの眺め45弾丸列車⑤

$
0
0

明治3年、島 安次郎は和歌山に生まれた。

明治21年3月1日四日市浜田に資本金300万円で関西(かんせい)鉄道㈱は設立された(民営でのスタートである)。明治23年1月、関西鉄道整備工場を浜田に設置(下の明治44年の地図を見ると、当時は四日市駅西側も濱田だったのか?)。

三重軌道・四日市鉄道(赤で予定になっている)の開通は大正時代に入ってから

明治23年12月 関西鉄道四日市駅創設。そして四日市‐柘植‐草津間が開通した。(伊賀の柘植から四日市間が最初だった)

明治27年、島 安二郎 関西鉄道(四日市工場)に入社し、高性能機関車「早風」を投入するなど機関車の改良、等級別車輌の導入、ピンチ式ガス燈の導入、夜間車内証明の導入など旅客サービス改善に尽力した。

明治27年7月、関西鉄道 四日市~桑名間開通 長良川・揖斐川・木曽川に鉄橋架設(難工事だった) 明治28年10月 鉄橋が完成し、四日市~名古屋間開通 明治31年12月 名古屋~網島(大阪鉄道合併)全通 明治32年5月  名古屋~湊町(大阪)全通

明治34年5月、島 安次郎、逓信省技師として官営鉄道へ移り蒸気機関車の国産化に取り組む。明治40年10月、関西鉄道は㈱国有となる(国営となるにあたり、優秀な技術者だった島は、大阪の本社に移ります)

明治42年、島 安次郎は、国有鉄道の広軌改築計画に取り組むが実現せず(この時大陸へ延びる弾丸列車構想があった)。昭和21年、逝去(享年77歳)。この遺志を継ぎ、長男、島 英雄は、父安次郎の志を継ぎ、戦後新幹線を開通させた。


Viewing all articles
Browse latest Browse all 2335

Trending Articles



<script src="https://jsc.adskeeper.com/r/s/rssing.com.1596347.js" async> </script>