関西鉄道略史の巻末に、高山禮蔵氏が「関西鉄道の黒髭山トンネルなど」で投稿されている。
明治28年、四日市から名古屋に達した関西鉄道は、明治30年鉾先を西へ転じ、伊賀路を上野から木津川の渓流に沿いに京都府南部の加茂に達した。
更に奈良への直進コースを取り、明治23年に全通した湊町・奈良間の大阪鉄道に結び、官設鉄道の向こうを張って名阪間直結ルートの確立を目指す主要幹線にまで最長した。しかしこのプランは大阪鉄道との協議がはかどらなかったのか、別途に加茂から分岐して未開業の城河・営業中の浪花の両鉄道を買収し路線を延長、大阪市内東部の網島駅を設けて大阪でのターミナルとした。名阪間直通運転が開始されたのは明治31年のことである。
注:京終(きょうばて)駅
さて加茂・大仏間の開業が明治31年4月19日であり、延長工事はさらに進められて奈良駅への乗り入れ運転が開始されたのは1年後の明治32年5月21日であった。大阪鉄道の奈良駅へ南北双方から奈良鉄道が乗り入れており、更に関西鉄道も乗り入れて、奈良駅のダイヤの調整は時間がかかったと思われる。
以後、明治40年8月21日木津駅北方の線路変更による運転経路の変更で、奈良・加茂間を通過する列車が木津経由になるまでの10年間、特に明治33年6月6日大阪鉄道が関西鉄道に買収され、湊町へ重点を移してからは、奈良・大仏・加茂のルートはメインラインとなっていた。今や幻となった大仏鉄道は、明治41年11月に廃止されている。
昭和40年頃の黒髭山トンネル跡 関西鉄道のマークが望める