市井からの眺め81関西鉄道⑪
大隈重信公ともあろう大物が、なぜに官設鉄道を批判し、一民間の関西鉄道擁護に回ったのか?ここで大隈重信について調べた。(ウィキペディアより) 関西鉄道の風刺画「さあこうやって貝焼くをしてしまって それから又腕比べだ」官鉄が受けの立場か?...
View Article市井からの眺め82関西鉄道⑫
値引き合戦の弊害に、大隈重信卿が官営鉄道側に苦言を言い渡した。 大隈重信 また、明治37年1月には名古屋商工会議所が逓信大臣に対して競争は混乱を招いている旨の建議を行っている。 こうして、明治37年4月、大阪府知事ほか国会議員2名による調停が行われ、4月25日に鉄道作業局長官と関西鉄道社長との間で協定書が取り交わされた。...
View Article市井からの眺め83関西鉄道⑬
関西鉄道略史の巻末に、高山禮蔵氏が「関西鉄道の黒髭山トンネルなど」で投稿されている。 明治28年、四日市から名古屋に達した関西鉄道は、明治30年鉾先を西へ転じ、伊賀路を上野から木津川の渓流に沿いに京都府南部の加茂に達した。...
View Article市井からの眺め85関西鉄道⑮
関西鉄道大仏駅について(駅跡地に建つ記念碑より) 明治28年に草津・名古屋間を全通した関西鉄道は、柘植から大阪方面への進出をはかり、2年後の30年11月に加茂まで開通した。...
View Article市井からの眺め86関西鉄道⑯
昭和36年当時の園内 中学生のころ、家族旅行で奈良ドリームランドを訪れた。会場に入るとメインストリートには両側にお土産屋さんがずらり並んでいて心が躍った。はっきり記憶にあるのは、兄が馬に乗れと言ったことだ。私は断ると「どうして乗らないのか?」と詰め寄る。見ていると大人を乗せた馬が走り出し、その人は顔色を変えていた。恐ろしかったが、結局乗ることとなった。 昭和36年...
View Article市井からの眺め90関西鉄道⑳
井上勝 井上勝鉄道局長官は、総理大臣伊藤博文に、箱根の険峻、天竜川、富士川、大井川などの大河を除けば「概ネ平坦」で、中山道よりも32キロ短縮でき、工期も半分以下、費額も1000万円以下に抑えることが出来る東海道筋に進めることを上申した。こうして東京~名古屋間のルート変更が行われたのである。まさに、日本の鉄道史上、空前にして絶後の出来事であった。「日本鉄道史 幕末・明治編」老川慶喜著 中公新書...
View Article市井からの眺め91関西鉄道㉑
明治39年1月、明治政府は私鉄を買い上げ国有化する条例案を出す。これに対し当時の関西鉄道社長 片岡直温は、当時の関西鉄道時報に「非鉄道国有論」として投稿している。...
View Article市井からの眺め93関西鉄道㉓
山本博文 監修「漫画版 日本の歴史13明治時代後編」角川文庫 より なかなか進まない鉄道整備に 我慢できなくなった岩倉具視や伊藤博文たちの発案で 華族などが出資して 政府の保護を受けた”日本鉄道会社”が 設立された 続いて・・・ 特にその不便さを痛感することになったのが 陸軍だった 軍事物資の国内輸送だけでも 何度も積み替えをしなければならなかった こうして鉄道の国有化は 必須の課題だったのです
View Article市井からの眺め95国営化の後①
明治41年3月 原敬逓信大臣主催の“鉄道国有記念園遊会”が、有楽町の三井集会所で開催され、私鉄出身者と官僚出身者1000余名が参加した。庭園には天幕が張られ、新橋芸者の手踊り、中国人の手品、桃中軒雲右衛門の浪花節などが披露された。 かくして、鉄道院初代総裁に後藤新平が就任した。後藤新平とは、どのような人物だったのだろうか。老川慶喜著“日本鉄道史 大正・昭和戦前編”中公新書より 後藤新平...
View Article市井からの眺め96国営化の後②
大隈重信内閣により召集された“軌制調査委員会”は、大正5年4月に、第1回が総理官邸で開かれた。ところが、鉄道施設の未整備な地方に地盤を持つ議員の多くからは、狭軌のままで良い、金をかけるなら地方新線の建設に力を入れるべきだという意見が出され、この年の8月まで14回にわたって開かれた委員会も「軌制ニ関スル根本方針ヲ議決スルニ至ラ」なかった。...
View Article市井からの眺め97国営化の後③
少し話はさかのぼる。明治40年、国会内は大乱闘の末、鉄道国有法案が閣議を通過した。私鉄である関西鉄道(かんせいてつどう)から公務員になった島安次郎は車両の全般を担当する逓信省鉄道作業局工作課長となった。機関車が1,118両、客車3,067両、貨車20,884両。国有となり雑多に集められたこれらの車両を3年がかりで整理し、形式を統一した。 島安次郎...
View Article市井からの眺め98国営化の後④
明治41年、第2次 桂太郎内閣になると、後藤新平は南満州鉄道総裁から、逓信大臣と鉄道院総裁を兼務して入閣した。『第1次桂内閣の時、鉄道国有化をすすめたのは自分であり、第2次桂内閣で後始末をさせていただくのも自分である。黒井船来航以来、日露戦争を経て躍進を続ける日本産業を背負って立つのはまさに鉄道であり、鉄道事業を成せるのは自分以外にない』と自信の程を見せている。...
View Article市井からの眺め99脱線余話
“たいじゅ”さんからコメントをいただき、話が弾んだ。『突っ込まないでください』のお断りあがったが、あえて知っていることを書きます。 内部・八王子線。なぜ八王子・内部線と呼ばないのか?北野保様は、結構このことにはこだわってみえる。なぜ内部方面へも線路が敷かれたのか?軍の施設があったからではないか?とか、ロマンを乗せて想像は広がる。...
View Article市井からの眺め100海軍道路②
北野保氏著の『よっかいち歴史浪漫紀行』に海軍燃料廠のことがあった記憶をたよりに、本を引っ張り出してみた。 「第二海軍燃料廠貯蔵施設」 南部丘陵公園の東、泊山小学校北の丘陵斜面にコンクリート壁で閉鎖された地下壕跡がある(医療センターの西にあたる)。以前、移設された市民壇を南部丘陵公園へ見に出かけたすぐ近くになる。この地下壕は第二海軍燃料廠の疎開工場のひとつで、航空燃料の貯蔵施設として造られた。...
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