以前“男の囲炉裏端の会”にて、北野 保氏から「四日市に原子爆弾が落とされていたかも?」というショッキングなお話を聞いた。「よっかいち歴史浪漫紀行」北野 保著 四日市商工会議所刊より
左 北野保氏(男の囲炉裏端の会にて)
『米軍資料 原爆投下報告書』東方出版によると、パンプキン爆弾と呼ばれた模擬原爆は、昭和20年7月20日・24日・26日・29日・8月8日、そして終戦前日の14日にかけて、北は福島市から南は長崎市までの18都道府県の29市町に、原爆投下部隊「509混成軍団」が特別作戦として合計49発を投下している。(ちなみに原子爆弾は、広島へ8月6日午前8時15分。長崎に8月9日午前11時2分に落とされた)
このうち四日市には、長崎原爆投下前日の8月8日に千歳町の千歳橋付近と塩浜町の第二海軍燃料廠付近に投下され、死者2人・重傷12人・軽傷44人・住宅140戸全半壊などの被害があったという。
アメリカ軍は、7月24日にも本市の港湾地帯を目標に模擬原爆を投下したともいわれているが、この時は目標が変更されたという説もあり、定かでない。
これは、模擬爆弾投下の実態を明らかにした「春日井の戦争を明らかにする会」によって突き止められた。
また、『亜細亜文化研究所研究年報 日本に投下された49個の模擬原爆』菊池良輝 著によると 計画では重要な工業地として、
7月24日 千歳町・第二海軍燃料廠住宅 1個
8月8日 千歳町:千歳橋付近 1個
8月8日 塩浜町:内部精油所 1個 となっていて実施には変更があったようだ。