おなじみの写真です。空襲後 急遽建てられた諏訪駅はいわゆるバラック建てでした。昭和21年頃から昭和31年9月までの10年間、諏訪駅は今の1番街の真ん中にありました。『諏訪、行こ!』。買い物に、遊びに、多くの人々がこの駅を利用しました。
明治44年の地図です。内部八王子線も湯の山線も、この頃はまだありませんでした。
大正11年の地図です。当時、三重軌道の諏訪駅と、四日市鉄道の諏訪駅は別々の場所でした。四日市駅を出発した各列車は、それとなく競い合うように諏訪駅へと入りました。市役所は高等女学校(現・中央小学校)の西にありましたが、昭和には、現在の場所に移されます。
昭和13年、諏訪駅は東海道沿いに建てられます。この時は、内部・八王子線と湯の山線の合同駅となりました。
人家のひしめく東海道沿いに、諏訪驛は線路を挟んで北驛と南驛がありました。