四日市東宝劇場(写真集・四日市の今昔 樹林舎刊より)
新町にあった「湊座」は、大正3年4月9日木曜日、新築落慶して関西歌舞伎一座が記念上演した。新町周辺は“湊小路”と呼ばれ市内第一の歓楽街となり、映画の普及とともに繁栄してきた。「湊座」は、昭和17年に東宝直営の「四日市東宝劇場」となり、戦災で焼失するも翌21年3月再開、焼け跡の真ん中の町で実演や、東宝映画を上映して人気を博していた。昭和38年10月に閉館を迎える。
“旧四日市を語る”に湊座のことが書いてあった。
新町のすずらん通りにあった。前にある小屋で木戸銭を払うと大人小人と書いた木札をもらう。木戸でこの札を渡してはいる。下足番に下駄を渡すと下足札をくれる。こうして畳の桟敷に行く。舞台は額縁式で回り舞台。花道は本・副の二本あり。本格的な芝居小屋であった。西側には茶屋があり、お茶子が忙しく立ち働いていた。拍子木の音で幕が開け閉めされた。
上の写真は昭和3年の湊小路。椙山満監修の“四日市の100年”より。
この界隈は四日市一の歓楽街。バーや遊技場が並び、路地の向こうには歌舞伎劇場の湊座があった。
戦後、戦後再開した四日市東宝に「電光石火の男」の看板が見える。再映でございます。
昭和30年頃
四日市でロケがあった。浅丘ルリ子と赤木圭一郎が四日市に来ていた。