昭和34年1月3日の中日新聞が出てきた。
“雨で静かな元日”とある。雨に明けた元日の四日市地方は、人出でも余りなく近鉄四日市駅の乗降客も約4万人で平日の10%増。このため同市諏訪神社への初参り客も同日ざっと1万人という少なさで、お正月をあてこんで境内に店を出している約百軒の露店もとんだ雨の元日に空を仰いでうらめしそうだった。しかし市内の喫茶店、パチンコ店などはどこも大にぎわい。市内14の各映画館もつめかけたお客さんでいっぱい“満員御礼”の札の出る映画館もあり、ここだけはえびす顔。
2日は雨も上がって朝から人出が多く、諏訪神社でも同日だけでざっと5万人の参拝客でごった返した。一方近鉄四日市駅の乗降客もこの日10万人を数え、平日の約4倍という人の波。
諏訪駅東の踏切跡。昭和34年5月21日に撮られた辻さんの写真だ。この路地を南に抜けると、右側に諏訪東映があった。
さて、三重版下には、お正月映画の広告が大きく紙面を割いている。松竹・グランド・シネマ・日活・東映・三重劇・ぼたん・弥生館とここで紙面は切れているが、四日市劇場・ロマン座・東宝劇場と続いていたのだろう。富田や塩浜も載っていたかも知れない。正月興行はどの劇場も稼ぎ時だった。四日市東映の正月第1弾は、片岡千恵蔵・市川歌右衛門 顔合わせの“忠臣蔵”、第2弾は、市川歌右衛門の“旗本退屈男”と大友柳太郎の“丹下左膳”である。
昭和34年はどんな年だったのか?昭和33年4月には、売春防止法が発行され、港楽園や春告園などの赤線地帯が解消されている。アメリカソ連の人工衛星競争があったころである。翌34年3月になると市民ホールと国鉄四日市駅の起工式が行われ、4月になると御在所ロープ―ウェイが開通した。この年8月“商品まつり”と“七夕まつり”が合体して四日市港開港60周年祝賀“港まつり”が8月4日~8日にかけて開催された。そして、この年の9月26日の夜半、台風が東海地方を襲う。