我が愛しの映画館⑦東映
下図は“清張ミステリーと昭和30年代”から取らせていただいた。この表をみると全国で映画館数が最も多かったのは昭和35年の7457館になる。前年には国民一人当たり年12回映画を観に出かけている。ところが平成7年になると1776館に減っている。76%の劇場が消滅した。...
View Article我が愛しの映画館⑧美空ひばりが来た夜
諏訪劇場(現在のローレルタワーシュロア四日市)の歴史は比較的新しい。ローカル映画館史 久保 仁著より 江田町(現 諏訪栄町)の近鉄諏訪駅のそばに「近畿館」が開館したのは昭和21年4月25日。東宝スター・佐伯秀男、光川京子の実演を興行、続いて舞台ものばかり公開していたが、4か月後の8月29日から「キャピタル劇場」と改め、アメリカ映画「呪ひの家」(昭和19年)を上映して洋画専門館となった。...
View Article閑話休題 熊沢製油本社
昭和43年当時の熊澤製油 下総人さんが幼少のころ住んでいた昌栄町の近くに、古い建物があるということで出かけた。 建物は大正3年に出来た熊沢製油本社である。煉瓦積みの上からセメントを塗った当時としては流行の建て方で、頑丈で空襲にも耐え、今日に残されている。2階建てでこじんまりしているが、大正時代の風格を今にとどめている。 熊沢製油の歴史は古い。...
View Article我が愛しの映画館⑨諏訪劇場
まだ諏訪駅は健在の様子か?昭和31年頃と思われる。1号線が左右に走り、中央通りは未完成だ。昭和27年の講和博を終え、中央通り整備にかかったころだ。中央下にどっかと威容を誇るのは諏訪劇場。左下の諏訪駅は画面外になってしまっている。残念!...
View Article我が愛しの映画館⑩透明人間
『透明人間』は、昭和29年12月29日のお正月映画第1弾として東宝映画で上映された。戦後間もない作品だけあって、雰囲気がよく出ている。これは、街灯テレビの様子である。オイルパーマ250円・オータニ美容院 当時幼稚園児だった私は、母親におんぶされて弥生館へ観に行ったのではなかったか?灰の入れてある金属の箱に炭を入れて風呂敷に包んで持ち込んだ。足温器である。...
View Article今週の禅語 可も無く不可も無し
店頭に禅語を印刷したものを公開しております。ウィンドウを拭いていたら 子供さんを連れたお母さんが読んで聞かせていました。ハズカシカッタ! 可もなく不可もなし 物事を決めてかかってはいけないという意味です 年を重ね 経験が豊富になってくると 取り掛かる前に「あ!ダメ」とか「あ!それムダ ムダ」とか決めつけがちです。可能性を信じて『やる前から しり込みをしてはいけないな』と...
View Article我が愛しの映画館⑪つづり方兄弟
弥生館の歴史は古い。明治26年開館の『新地座』が、大正10年に新興キネマ系の劇場『弥生座』に改名。 大正11年 昭和10年『弥生館』となる。 同20年6月の空襲で焼失したが、翌21年新築オープン。東宝系の封切館となり「ゴジラ」の第1作も上映された(昭和29年11月3日封切り)。 昭和37年(次週は 用心棒と椿三十郎が再映される) 昭和43年...
View Article我が愛しの映画館⑫ゴジラ
昭和29年11月3日、とてつもない映画が公開された。水爆実験の影響でよみがえった大怪獣が東京に上陸して大暴れするのだ。その名は“ゴジラ”! 身の丈が50mもあろうかという大怪獣で、戦車や戦闘機の攻撃もまったく通用しない。それどころかビルさえも叩き潰す怪力を持ち、口からは白熱光を吐いて、あらゆるものを炎上させてしまうのだ。...
View Article我が愛しの映画館⑬地球防衛軍
若き日の道元が、宋の天童山景徳寺にいた時の事。ある日、典座の老師がキノコを並べて干しているのを見た道元が、老師の体を心配し「ご自分でなさらずに、誰か若いものにやらせてはいかがですか?」と言葉をかけました。 老師は「他はこれ吾にあらず」と鋭い口調で答え、道元をはねつけました。「他人がしたのでは、わしがしたことにはならん」というわけです。...
View Articleこころをよむ シネマレッスン
久しぶりにラジオを聴くことにした。今ではネット配信で過去(2か月前まで)の番組をいつでも聞くことができる。 さて、番組は『こころをよむ シネマレッスン 主人公が教えてくれること』その内容は・・・ 第1回 愛の眼差し「ローマの休日」「めぐりあい」10月4日 第2回 勇気を持って「サウンドオブミュージック」「24の瞳」10月11日 第3回...
View Article我が愛しの映画館⑭生きる
東宝創立20周年記念として黒澤明監督により制作された「生きる」は、昭和27年10月9日、四日市では弥生館で封切られました。 最後に完成した公園で「ゴンドラの歌」を歌う渡辺課長 人は何のために生きているのか、生きているなら何ができるのか。『生きる』は、まっすぐに問いかけてくる心にしみる名作です。“こころをよむ シネマレッスン 主人公が教えてくれること 青柳秀侑”より...
View Article我が愛しの映画館⑯三重劇場
昭和20年6月18日、四日市市街地は大空襲を受けた。戦後トップを切って塩浜にあった海軍燃料廠の旧軍人グループが、有限会社「三重劇場」を立ち上げた。昭和21年2月18日のことである。このグループはそれから納屋町の「ロマン座」新田町の「四日市宝塚劇場」、津市の「津パール劇場」と映画館経営を広げていった。...
View ArticleGoTo商店街キン・ザ・ザ
『不思議惑星キン・ザ・ザ』という奇妙なSF映画を観た。ソビエトの映画で1968年公開の作品であります。これはGoTo商店街「コロナ退散編」で活用できると確信いたしましたが、さて、やれる自信があるかどうか? 街かどで宇宙人と出会う 1980年代、モスクワの街かどでマシコフおじさんと、学生のゲデヴァンは、浮浪者風の男を見かけ、彼の持つテレポートでキン・ザ・ザ星雲の砂の惑星プリュクに飛ばされてしまう。...
View Article我が愛しの映画館⑰ターザン
三重劇場で次々と上映されたジョニー・ワイズミューラーの『ターザン』シリーズは、あの叫び声は、よく学校で真似をしました。GoTo商店街で『ターザン』の張りぼてを雄たけびと共にビュンビュン飛ばそうと思っていたのですが、ジェーンのエロ姿に「ちょっと無理だわ」と思ってしまった。...
View Article四日市市長選!
市長選が始まる。このままだと対抗馬は出ないので、立候補者届け出が終わり次第 森市長の再選となる。 さて、スターアイランド跡地の取り壊しは進んでいる。三分の二くらい撤去されているのか?駅前に出来た巨大な空き地を、中心市街地のためにも早く再建してほしいものでゴザイマス。玄関口を立派にしていただかないと、中心市街地の魅力は考えられない。 本日の中日新聞より
View Article市政施行60周年 四日市広報
書類の整理をしていたら、市政施行60周年を祝う「広報四日市」が出てきた。昭和32年9月24日の発刊である。当時は、近鉄四日市駅が出来て1年経った頃だ。 この広報誌に“商業”というコーナーがあったので紹介する。...
View Article我が愛しの映画館⑱弥生館
平成9年頃、1番街で「諏訪栄こつこつ街づくり新聞」を作っていた。くすの木パーキングが完成の頃である。平成9年3月13日号に『2月28日をもって弥生館閉館!』の記事があったので掲載させていただく。
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