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Channel: 花の四日市スワマエ商店街
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掖済会前海水浴場 ②

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昨日は、“男の囲炉裏端の会”に参加させていただいた。と申しましても、参加は男性に限らない。“男の・・・”は省略しては?とも思っておりますが、余計なことです。とまれ、楽しい(自分だけ)時間を頂戴しました。感謝!

ところで出席のKさんから、会場だった納屋プラザ内に貴重な写真があると教えていただきました。

旧四日市港北にあった、掖済会前海水浴場の空撮です。

2021年7月3日のブログ記事一覧-花の四日市スワマエ商店街 (goo.ne.jp)

掖済会が建ち、狭い砂浜がある。椙山先生の説明から、海軍の水上機が曲芸飛行を行っている、その上空の1機から撮られたものだろう。左に造船所、掖済会裏には牧場らしきものが広がっている。これは、高砂町の吉田様から寄贈されたもので、大正13年10月12日撮影とあった。三滝川から流された砂等で、よどみが出来、海水浴場の汚染が進んでいるようだ。

日本海員掖済会は、明治13年 明治新政府の意向により、劣悪だった船員の労働環境と生活習慣の改善のために、船員宿泊所の提供、船舶の斡旋、船員教育、船員遺族への弔意・慰安、そして、船員に対する医療といった、船員に対する福利厚生一切を行う団体として設立された。「掖済」(古文書では「掖濟」)とは、前田 密によって名づけられ「掖(わき)から手を添えて支える」という意味である。戦前は、船員に対する福利厚生全般を包括して行ったが、第二次世界大戦後、職域ごとに国の直轄事業や他の公益法人への事業分割が行われ、船員に関する医療を行う社団法人として再出発することになった。ウィキペディアより

四日市 市史研究 第5号に、掖済会の写真があった。

上と同じ建物のようです

稲場町の海員掖済会寄宿所に設けられた三重県検疫委員派出所とあり、警察官らしき人物が数名前にいて、何やら物々しい風景である。大正5年10月8日、四日市市浜町の東洋紡績の仲仕の子供が耳下腺炎で急死した。大正ペスト騒動の始まりである。


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