椙山 満先生の“北勢軽便王国物語”をWebで見つけた時は驚いた。
大正5年11月の撮影で、左に四日市鉄道、右が三重軌道の合同駅になっている。この駅舎は大正5年3月に出来て、昭和3年に伊勢電鉄の路線になるまでの約12年間存在していた。その後、両線は東海道沿いの諏訪駅が始発駅となっている。
大正11年マップの合同駅の位置である。上が西方向で2本の線路は諏訪駅へと向かう。三重軌道の線路が左方向へ曲がっているのは、阿瀬知川岸に荷物の積み下ろし場があったからだ。
東向きに撮られた絵葉書。右に立派な山門の善光寺が建ち、正面に合同駅が望める。初めの写真からずっと後ろへ下がった位置になる。
大正期の街の並び。“よっかいち”から左へ二本の線路が伸びる。この頃の四日市鉄道の“諏訪駅”は東海道の西側、三重軌道の“諏訪前”は東海道の東に、別々にあった。
下の時刻表を見ていただきたい。湯の山行の電車と内部行のコッペル車が、午前7時20分、同時に発車して諏訪まで並行して進んでいる。四日市着の時刻表にも、6時25分と10時27分が同時刻に終着している。少し競い合って走る両列車を、見たかった!みてみたかった!
椙山先生 ありがとうございました。