昭和43年1月3日の中日新聞です。映画欄の上に、寿観光さんとトルコセンターさんの広告が目に付きます。トルコセンターさんには“スモッグの工都に新魅力”とあります。四日市公害の結審が下りたのは昭和47年ですから、この頃は、四日市の空はスモッグが覆っていた頃でしょう。また、この年は市制70周年にあたり、中央緑地に体育館が完成しています。全国では、川端康成がノーベル文学賞を取り、12月に東京 府中の3億円事件が起こりました。いざなぎ景気が続き、成田空港建設反対運動が、マスコミを騒がした頃です。
四日市シネマでは、“荒野の用心棒”(昭和47年公開)のヒットに続き“夕陽のガンマン”の続編“続 夕陽のガンマン 地獄の決闘”の上映中です。黒澤明監督の“用心棒”(昭和36年)をセルジオ・レオーネ監督がリメイクしたのをきっかけとして、マカロニウエスタンブームが続きます。
チャールトンヘストンの“十戒”は封切りが、昭和31年ですから、宝塚劇場では、再映か再再映だったのでしょう。3時間45分という大作です。上映も日に3回で、9:35・13:40・17:45からでした。通常の2本立てでは4回転だったと思います。
大映(四日市グランド)は“座頭市シリーズ”、東宝(弥生館)は、加山雄三の“若大将シリーズ”と植木等を持ってきています。中映での“ミクロの決死圏”は、昭和41年の封切りですから、正月興行として話題作を再映で持って来たようです。医者のチームが、小さくなって体内に入り、手術をするというSFでした。