昭和3年6月、東海の飛将軍といわれた熊沢一衛は、四ッ谷町に熊澤ビル(伊勢電鉄事務)を建てる。現在の本町プラザであります。この年の11月、伊勢電鉄の四日市・桑名間が開通し、三重鉄道と四日市鉄道が並行して走っていた国鉄四日市と諏訪駅間を買収した。これにより昭和4年、三重鉄道と四日市鉄道の始発駅は、旧東海道筋に出来た諏訪駅が始発となる。それまでの三重鉄道は“すわまえ”、四日市鉄道は“すわ”と驛はそれぞれにあった。
旧東海道沿いの諏訪駅
サンシ側から見た諏訪駅 右の方にホームの西端が見える
伊勢電鉄等が走る諏訪駅は、当初、現在のスーパーサンシ付近にあったが、昭和17年、少し西側の現在のパチンコホームランの場所へ移転された。同31年に新しい近鉄四日市駅が建設されるまでは、内部・八王子、湯の山線、名古屋線の3線の昇降駅として多くの市民に利用された。(近藤弘氏提供 四日市今昔写真帖より)
四日市今昔写真帖
私は“諏訪駅”は、昭和20年6月の空襲後に出来たものと思い込んでいたが、昭和17年に、旧東海道沿いでは手狭になったので移転したという事だった。空襲でいったん焼失したのか?
空襲直後 真ん中に諏訪劇場 その上に諏訪駅がある かなり破壊されているが諏訪駅は燃えたのだろうか
昭和20年に建て替えられたとしても、随分古びた 小さい駅舎である。当時のことなので間に合わせの材木で造られたのか?
昭和30年9月、近鉄線短絡化の為、諏訪駅は廃止となった。それまでの“諏訪駅”は、まちの入り口だった。