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四日市の中世城館⑫坂部城址

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坂部城址は三重団地の西にあった。北側 城山緑地公園入口の坂を上る。

西坂部城跡

上ったところに案内板が立つ

西坂部には城跡が二カ所あって、小字「城」に鎌倉時代の三日平氏の乱において若菜五郎とともに平賀朝雅のために滅亡した萩原小太郎が拠点とした城があった。室町時代に朝明郡の中野城に拠った赤堀藤太郎がその前にここを居城としたとも伝えている。

もう一カ所は、この地で小字名「城の谷」といい、永録年中(1558-1569)に山本豊前がここに居たという。

城域は南北に、北ノ、本丸、二ノ丸、三ノ丸と名付け得る小区域があり、それぞれに土塁がめぐらされていたと思われる。

土塁は二ノ丸(南端)、三ノ丸(西南端)のフェンスで保護された部分に残っている。

この城跡は、四日市市開発公社により三重団地造成に際し、公園として残され、市民にとってかけがえのない文化遺産として また憩いの場として整備されたものである。   昭和47年3月31日  四日市市教育委員会

市開発公社三重平団地内に公園整備されている。標高77.1メートルの丘陵尾根にあり、左半は2段程の削平地があり、西半も2段程の削平地となる。南と西に細い土塁がフェンスで囲まれて保護されている。中央の最高部は台状地となり本丸といわれている。『勢陽五響遺響』に、「元久元年(1204)平氏党 若菜五郎 萩原小太郎に命して守禦(しゅぎょ)せしむ処なり」とある坂部城跡であろうか。(60×150m) “三重の中世城館”三重県教育委員会刊より

帰りはここから南側へ下りた


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