四日市の中世城館⑤鵜之森
鵜野森城址 その一 鵜之森春景“知られざる四日市の風景”水谷百碩画 四日市市立博物館 鵜の森神社は浜田城跡にあり、四日市の発展の基礎を築いた浜田一族を祀る神社です。神社の森の鬱蒼としたなかに桜の花が咲き、周囲を黄色い菜の花と紫色のレンゲが埋め尽くしています。今では考えられないような穏やかな風景がここには描かれています。 鵜森の晩秋“知られざる四日市の風景”出口對石画 四日市市立博物館...
View Article四日市の中世城館⑥鵜之森
浜田城址 その二 浜田城址の鵜の森神社 醍醐天皇の時代に、俵藤太秀郷(たわらとうたひでさと)という有名な勇士がいました。大織冠(だいしょくかん)藤原鎌足の末裔(まつえい)、阿部左大臣 魚名公(うおなこう)から五代の孫、従五位の上...
View Article四日市の中世城館⑦鵜之森
浜田城址 その三 土塁 今朝は少し早く出て、浜田城址の土塁を確認に出かけた。 戦前の鵜の森神社 鵜の森神社の拝殿を回ってみると、土塁が築かれ、周りは堀になっていた様子が分かる。 ① 南側は整備されているが池状になっています。お堀の名残りです。 ②土塁と堀跡の間を西へ ③ 拝殿の裏側は、昔 ローラースケート場になっていました。その後 テニス場に・・・現在は起伏のある公園になっています。 ④...
View Article四日市の中世城館⑧鵜之森
浜田城址 其の四 十六間四方白星兜鉢 YAHOO!地図より ① 参道入口左に“浜田城址”の石碑が立ちます。裏に浜田城の歴史が掘られています。 文明2年(1470)田原美作守忠秀(たはらみさくのかみただひで)は、この地に城を築き浜田城と称した。 忠秀は当時の赤堀城主 田原肥前守 景信の二男である。 その祖先は藤原鎌足であり、九代の末裔...
View Article四日市の中世城館⑨鵜之森
浜田城址 其の五 掃部殿塚 平成29年1月15日の鵜の森神社 雪景色 前年(平成28年)10月 綱の会さんが 鳥居左側の神社と公園の境に“冠木門”を建てました “掃部堂之秋景(かもんどうのしゅうけい)”知られざる四日市の面影より 水谷百碩画 四日市市立博物館刊...
View Article四日市の中世城館⑩鵜之森
浜田城址 其の六 雨の鵜の森 今日は雨。鵜の森公園を南から入る。 遠くに冠木門が見える <浜田城の歴史> 明徳3年(1392)南北朝統一。北伊勢は48家が割拠。 元中9年(1392)佐野景綱(田原秀郷を祖とする)が三重郡栗原に赤堀城を築く。 応永35年(1428)赤堀城は次男の景宗に継がせた。景宗は長男を羽津城に、三男忠秀を浜田城に封じ、赤堀本家は関氏の次男を養子とし継がせた。...
View Article四日市の中世城館⑪茂福城址2
西側から 2022年3月15日のブログ記事一覧-花の四日市スワマエ商店街 (goo.ne.jp) 近鉄名古屋線の富田駅と霞ヶ浦駅の中間の軌道東側に位置し、城跡を標示する石柱と最後の城主茂福盈豊(みつとよ)の碑が建てられています。 茂福城址の古い碑が立つ...
View Article衝撃写真ベスト4
昨日は“男の囲炉裏端の会”で、6回目の“昔の映画館巡り”を実施、楽しい時間を過ごさせていただきました。ありがとうございました。毎年同じことを話すのもどうかと思い、今回は、私の“レモンい色の町 衝撃写真ベスト4”を参加の皆様と共有させていただきました。 大正時代に建てられた“旧図書館”と昭和4年に出来た“熊澤図書館”の2棟が写った珍しい写真です。「写された四日市」市立博物館刊より...
View Article懐かしの映画館跡巡り
3月24日“男の囲炉裏端の会”さんで実施いただいた“懐かしの映画館巡り”の記事を、中日新聞の篠崎記者さんが同行して記事にしていただきました。いい加減な説明でしたが、調べなおし記事を作っていただきました。ありがとうございました。“男の囲炉裏端の会”の志田さんにも、御礼申し上げます。
View Article四日市の中世城館⑫坂部城址
坂部城址は三重団地の西にあった。北側 城山緑地公園入口の坂を上る。 西坂部城跡 上ったところに案内板が立つ 西坂部には城跡が二カ所あって、小字「城」に鎌倉時代の三日平氏の乱において若菜五郎とともに平賀朝雅のために滅亡した萩原小太郎が拠点とした城があった。室町時代に朝明郡の中野城に拠った赤堀藤太郎がその前にここを居城としたとも伝えている。...
View Article四日市の中世城館⑬二条河原の落書
元弘3年(1333)鎌倉幕府が滅亡し、後醍醐天皇による建武政府が樹立されました。鎌倉幕府の北条氏打倒に参加した者は、反北条の一点では一致しつつも、政権構想での意見の対立は激しかった。これに後醍醐天皇の個性が加わって、政策や方針も一貫性を欠き「二条河原の落書」にあるような混乱状態が現出したのです。 榎原雅治著“室町幕府と地方の社会”より 図書館の本...
View Article四日市の中世城館⑭坂部城址2
① 位置関係を確認するため、もう一度坂部城址を訪れた。 ② ③ ④ ⑤ ⑥物見台へ上る ⑦一番高い処 ⑧ ⑨碑とブランコが見える ⑩ ⑪下がったところに狭い平地があった
View Articleエキサイト四日市・バザール2022
風もない、良いお天気になりました。 メイン会場のeスポーツ 大勢の支援が集まっています 消防署さんの出展 火災時の煙の中での視界体験 諏訪公園の444会場 モノクロ写真がカラーになってお目見えです 出来たばかりの中央通り 諏訪公園交流館
View Articleエキサイト四日市・バザール2022 2日目
時折小雨ふる2日目でしたが、風もなく 桜も満開で無事終えました Beat Jungle CJ with JUNCOいずむ 芸術アカデミー さんの演奏 よかった! 陸上自衛隊格闘展示 生のストリート・ファイターみたいで迫力満点でした グランツーリスモSPORT無料体験 理事長曰く「目が回った!」 eスポーツ コミュニケーションズの筧 誠一郎氏を迎えて 森市長との対談 大画面での フォートナイト...
View Articleサザエさん 昭和の風景より
週刊朝日刊 窓口で切符を買えるところが 減っています 改札口で もたつく年寄り のみ?戦後しばらくのことでしょう 家内は猫のノミ取りが上手でした 親戚でのお泊りの “かや”は楽しかった 高校の時 我が家にも ようやくカラーテレビがやってきました 夕刻の諏訪神社に 紙芝居やさんが来ていました 黄金バット!続けてみていないと 意味不明でした...
View Article四日市の中世城館⑮釆女城址 その二
釆女城址 yahoo地図より 地目・山林 立地・丘陵 規模・200×250m 時代・文治 城主・後藤氏 概要 文治年中(1180年代)伊勢平氏の後藤兵衛基清ここに拠る。以来 十五代の孫...
View Article四日市の中世城館⑯釆女城址 その三
釆女城址へ出かけた。さて、波木町から入るか、内部から入るか迷ったが、内部側(東)から入って内部川沿いに進み、帰りは波木町(西側)へ抜けた。内部川沿いに行く道は狭いので、南自動車学校の方から進んだ。 城址入口の東に、矢矧橋の案内板が立つ。その内容は悲しい。 此処には、のどかな日常の風景と、戦争の悲劇が書かれていました。 “矢矧橋(やはぎばし)と釆女城ゆかりの地名”...
View Article四日市の中世城館⑰釆女城址 其の四
現在位置から谷に沿って敵が攻めてくるのを想定 釆女城を納めた後藤氏は、藤原氏の流れをくむ河内の武士で、代々源氏に仕え源頼義(前九年の役の武将、鎌倉に鶴岡八幡宮を建立)配下七将の一人であった。 谷を手摺りに沿って上る 後藤実基の時、源義朝の家老格として その子基清と共に平治の乱(1159)、屋島の合戦(1185)に活躍し、平治物語・源平盛衰記・吾妻鑑に登場している。子孫は鎌倉幕府に仕え...
View Article