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Channel: 花の四日市スワマエ商店街
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昔日の午起

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商工春秋11月号より 四日市十二景 水谷百碩画伯による“午起の綱引き”

現在、第二コンビナートが建ち並ぶ午起は、昭和30年(1955)頃までは海水浴場として親しまれていました。この絵は、漁師が地引網をしているところで、画面右上には白い灯台と稲葉町から延びる四日市港の防波堤が描かれています。綱を引く人の他に手に網を持った赤ちゃんを背負った女性や子供の姿が見えます。

中央を流れる三滝川の右側が午起海岸。明治44年の地図より
昭和30年代初め、まだ幼児の頃だったと思う。母親に連れられ午起でバスを降りた。バス停は乗り降りする人やバスを待つ人で賑やかだった。正面に高いコンクリートの堤防が迫っており、そこを超えると一面の砂浜に大勢の人が海水浴を楽しんでいた。
小学校のとき学校から午起に出かけた。帰ると体中油の斑点だらけで、店の売り台に立たされシンナーのようなもので拭きとられた記憶がある。すでに海は汚されていたのだろう。
早朝、友人の正ちゃんと自転車で午起へ走った。当時は名四国道の工事中で部分的に道路が出来ていた。白い砂浜は海蔵川を超えて遠く富田浜へと続いていた。貝殻を拾ったりして遊んだが、そのとき正ちゃんは大きなハマグリを1個持って帰った。

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