正一様から、“昭和東海道 五十三次”と題して、池田遙邨氏が四日市宿を描いてみえたというコメントを頂戴しました。(倉敷美術館蔵)
旅好きで、画家であった池田氏が東海道を歩き、四日市で描いた次の絵を参考に、五十三次を描かれたという事です。題して“開栄橋”昭和6年
出口對石市(訂正:出口對石氏)が“泗水十二景”と題して、昭和初期に“運河の細雨”を描いてみえます。
似ていますよね。つぎが、現在の写真です
開栄橋は左にあります(写真には写っていませんが・・・)。画面右が相生橋で、左に蓬莱橋が望めます。
池田遙邨氏の“開栄橋”に戻りますが、開栄橋の下から相生橋が描かれていますね。東海道五十三次は、時を江戸時代に戻し、開栄橋の手摺りと蓬莱橋を削除してあります。雰囲気を出すためとはいえ、雪の日に、手摺りのない橋を渡るのは、命がけです。
広重の描いた風景は、何処だったのでしょうか?