マンガ黄金時代②
はじめに “マンガ黄金時代”文芸春秋社編集部より こんなエピソードを覚えていますか。大学紛争華やかなりし1960年代後半、全国の大学では学生たちのバリケードストが相次いでいた。体制の変革を目指しバリケードで解放区を構築しようとしていた彼らが愛読していたのは、難解な思想書、そして、なんとマンガだった。...
View Articleマンガ黄金時代 李さん一家
「ガロ」の昭和42年6月号掲載の“李さん一家”つげ義春画より(“大人のロマンと子供の科学”赤瀬川源平著) どんなものかというと、僕が郊外の一軒家に引っ越しをする。 僕は二階家へ引っ越しをする 小さな庭もあるので気に入って草むしりなどしていると、鳥の声が聞き分けられるとかいう男がふらりと紛れ込んできて、話すうちにいつの間にか僕の二階に引っ越して住むことになる。...
View Articleマンガ黄金時代 青春裁判
永島慎二氏が、昭和42年3月号の雑誌「COM」に“青春裁判”を掲載している。学生時代大いに影響を受けた(甘い あまい アマ~イ)漫画の一つでゴザイマス。 夜のビルディングの長い階段を、サンドイッチマンが上っていく。階上の部屋では裁判が始まるところだった。被告の青年を真ん中に、裁判長と陪審員十人が廻りを囲んで座っている。...
View Articleマンガ黄金時代 おせん
先天性の難病を抱えながら創作活動に打ち込んだ楠 勝平。30歳にして逝去するまで“ガロ”に作品を発表し続けました。 『楠勝平コレクション 山岸涼子と読む』ちくま文庫...
View Articleマンガ黄金時代 暮れ六つ
楠勝平さんの作品をもう一つ“暮れ六つ” 夕暮れ迫る江戸市井の雰囲気がとてもよく出ています。冒頭 息せき切って走ってきた僧侶が、寺院の鐘をつきます。瘦せぎすの浪人が子供に家を聞いている。 ろくろ師の仕事場を訪ねる浪人 仕事場の様子が良く描けています 「ごめん!お尋ね申す」 弟子の八助は、急いで息子に知らせます。「親父さんの処へ ついに仇討ちがきた!」 息子は助太刀に駆け付けますが 江戸の下町は...
View Articleマンガ黄金時代 ガキ道講座
青柳祐介さんの“いきぬき”(COM昭和42年9月号掲載)という漫画を紹介しようと思っていたのですが、70過ぎのジジイが見るには あまりにも甘っちょろすぎたので、谷岡ヤスジ氏の“メッタメタ ガキ道講座”を掲載いたします。これはもう 笑うしかございません。 ハチャメチャでゴザイマス “しょにょ に”は、ハナ血ぶーの炸裂でございまする “少年サンデー” 昭和45~46年掲載...
View Article杉浦日向子さんの“呑々まんが”
杉浦日向子さんは、平成17年に帰らぬ人となりました。江戸から明治初期の魅力と楽しさを教えていただき、葛飾北斎の“百日紅”、白虎隊を描いた“合葬“、忠臣蔵の“吉良供養”等、漫画から江戸の町を楽しませていただきました。 今年5月に、杉浦さんの作品やエッセイをぎゅっと詰め込んだ“お江戸暮らし”ちくま文庫 が出されましたので、その中から“呑々まんが”を紹介させていただきます。
View Articleいしいひさいちさんの“忍者無芸帖”
いしいひさいちさんの漫画も ほのぼのとしていて面白い。人柄の良さがよく出ています。“バイトくん”も笑えます。 平成5年の発刊 文春文庫ビジュアル版 出っ歯 ネコ屋敷 お茶で毒殺 忍法らっきょう頭
View Article四日市の中世城館⑳伊坂城址 其の一
伊坂城址に行ってみた。 伊坂城は伊坂ダムの北側(正しくは北西方向)に隣接する。萱生城(暁高校の建つ山)の分家で、春日部太郎左衛門尉がここに居住。永禄11年(1968 訂正;1568年 デゴザイマシタ...
View Article四日市の中世城館㉑ 伊坂城址 其の二
空井戸のことだろうか? ここから西へ入ると城跡へつながるとあるが、入り口が分からない 空井戸らしき施設の下に 青色の杭があるのを見つけた ほとんど白くなっている 強引に藪へ踏み込むと 赤い杭が二本あるのを見つけた この間を北西へ進むとあった 数年の間に竹が生い茂っていて 道にというには程遠い 方角だけが頼りだ 崖に沿って上ると 第二名神の上に出た 遠く北東に伊坂台が望める 再び藪へ入って坂を上ると...
View Article四日市の中世城館 ㉒伊坂城址 其の三
城郭址の表示には 城主 春日部太郎左衛門 1573年滅亡 とあった 城郭一帯は太い孟宗竹に埋め尽くされている。 南側の入口に 高い土塁がある四角い平地である 周りは深い堀に囲まれていた。 さて、これからもと来た道を戻るには大変なことだと思いきや、同行のKさんが、北側に続く道を見つけた。 藪を出ると新名神と並行して下り階段があった。そこから高速を横断する橋を目指してまた上る。 橋へ行くまでに左へ...
View Article四日市の中世城館㉓伊坂城址 其の四
伊坂城址の発掘調査報告書が、平成15年(第1次・第二次)と平成24年(第3次)に出されている。 第1・2次調査報告書より 平成15年3月 三重県埋蔵文化センター 所長 吉永 康夫...
View Article広重 四日市東海道描かず?②
正一様から、“昭和東海道 五十三次”と題して、池田遙邨氏が四日市宿を描いてみえたというコメントを頂戴しました。(倉敷美術館蔵) 旅好きで、画家であった池田氏が東海道を歩き、四日市で描いた次の絵を参考に、五十三次を描かれたという事です。題して“開栄橋”昭和6年 出口對石市(訂正:出口對石氏)が“泗水十二景”と題して、昭和初期に“運河の細雨”を描いてみえます。 似ていますよね。つぎが、現在の写真です...
View Article石ノ森章太郎“佐武と市捕物控”①
石ノ森章太郎氏の作品に“佐武と市捕物控”があります。 漫画家でありエッセイストの杉浦日向子さんがコメントを書いてみえました。 「今、私たちの立つアスファルトの下に、あたかも江戸の残骸が横たわっているような気がするかもしれません。こんなことを言うと、うっとうしい梅雨の頃、市やんの長屋の隣の部屋に住んでいた、大道芸人の侍のセリフが聞こえてきそうです。「おれの殺した女の死体が床下でくさっているんだ!」...
View Article石ノ森章太郎“佐武と市捕物控②
石ノ森章太郎氏の作品に“佐武と市捕物控”があります。その二 漫画家でありエッセイストの杉浦日向子さんがコメントを書いてみえました。 「佐武やんと市やんの物語の中には、無数の“俗物”が登場します。それらのあまりに唐突で意味のない死に忿懣やる方ない...
View Article”かかしがきいたかえるのはなし”その前編
“かかしがきいたかえるのはなし”は、永島慎二さんが昭和42年“ガロ”に掲載された漫画です。わが青春に一番大きな影響をもたらした漫画・・・と思い込んでいます。さすがに初出の“ガロ”はありませんでしたので、ネットで“ふゅーじょんぷろだくと版”を買い求めて楽しませていただいております。 永島慎二さんは“あとがき”に、こう記してみえます。...
View Article”かかしがきいたかえるのはなし”後編
ユメは いつかかなえられる そのみちが 遠ければ 遠いほど 「しかし きみはえらい! とうとうそのくろうとも おわかれだね ユメがかなうのさ あの山からね 一年に一度 月に向かって バスが出るんだ おわり
View Article永島慎二さんの“ひこうき”前編
永島慎二さんの作品に“ひこうき”がありました。描かれた時の明記がありません 絵の作風から かかしがきいた・・・と同じころだと思われます プラモデルと違って 工作飛行機は 少しお兄さんの臭いがしました 長い袋を逆さに振ると 竹ひごと バルサ材 プラスティックのプロペラ ゴム紐と和紙とセメダインが入っていました 飛行機の形には程遠い材料です 残念ながら完成には及ばず...
View Article永島慎二さんの“ひこうき”後編
永島慎二さんが描かれたのは1977年8月14日とあります。知らない子供と“ひこうき”で友達になる。しかも、その友達は ひこうきづくりの達人でした。“風の又三郎”を彷彿とさせるものがたりです。
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