昭和30年5月17日、三角ベースで野球をしている。辻さんは諏訪駅跡地と言っていたと記憶しているが違う。さて、ここは何処か?
ヒントは電柱にある「稲垣写真展」の広告と、この建物です。現在、建て直してあるが、敷地は昔のままであります。むつかしい? むつかしい!
昭和40年4月の東京都内の風景。「五畳半の住まい」“ついこの間あった昔”林望著 ちくま文庫 より“衝撃的写真”
昭和40年というと東京オリンピックの翌年です。人口流入に住宅事情が追い付かなかったのか、東京の2割の人が一間(ひとま)の住まいに甘んじていたそうです。“木賃(もくちん)アパート”と呼ばれていて、五畳に半畳の台所がついていて、そこに家族5人が住んでいます。勿論、共同便所で銭湯かよい。お母さんは、半畳の台所で石油ストーブと七輪を駆使しつつ調理を遂行します。
晩御飯が仕上がる頃合いを見計らって、丸いちゃぶ台を引き出し、パチンと足を伸ばして、楽しい食事のひと時が始まるのです。林氏はこう述べています。
「家族というものはこうやって一つところに雑居しつつ、一目で家族全員が見渡せて、ちょっと声をかければそれで全員に意思が疎通し、三歩か五歩も歩けば何でも手に取ることができる、そして今まで食事をしていた場所に布団を敷いて寝る。そういう狭い空間を重層的に合理的に使いまわすのが、私どもの住宅というものの現実と知恵であった。」また、こうも書いてみえます「家が広くなった現在でも、家の中には“もの”が溢れ返って、雑然たる混沌の中に住む、というスタイルは実はそれほど変わってないかもしれない。」と・・・
そして、こう結んでありました。「私はこの写真をじっと見つめているうちに、ふと、この布団の中に半分顔を出して寝ている男の子が、かつての自分自身であるような気がしてきた。
そうしたら、なんだかこの見も知らぬ五畳半が懐かしくなった。