問題1.の答えは、C.のマジックインキでした。学級には必ず1箱は置いてあり、模造紙と共に壁新聞などの掲示になくてはならないものでした。寺西化学が製造販売し、内田洋行が“?”の商標を持つ“マジックインキ”は、昭和28年に発売されましたが、なかなか売れなかったそうです。やがて、テレビの選挙やニュース速報などで使われ始め、山下清画伯が点描画にこれを使ったことでようやくヒットしたということでした。小学校5年の時に、大きな模造紙にマジックインキで壁新聞を作った記憶があります。大橋くんちは洋裁学校で、教室に模造紙を拡げ、一文字ずつ色を変えて月光仮面の記事を書きました。キャップをしっかり閉めないと、すぐ書けなくなってしまいました。6年生になるとガリ版で学級新聞を作るようになり、みんなに配布しました。担任の先生が若くて(当時)頑張り屋さんだったので、「掃除は免除するから1日1回学級新聞を発行しなさい」と至上命令が下り“たけのこ新聞”をせっせと作りましたが、百何号かに終わりました。先生には“満足”が残り、我々新聞部には“疲れ”が残りました。
懐かしい“?”のマークです。お世話になりました。
問題2.は、C.のブドウ糖でした。これは難しく、私は合成甘味料かと思っていました。
戦後直後は、小学生児童の90%が寄生虫を持っていたそうです。人糞を肥やしにしていたからでしょう。朝我が家に、松本村からお百姓さんが“肥え”を取りに来ます。おじさんが天秤に桶を下げ、家の中を通っていきます。すごい臭いです。便所への行きは空ですが、帰りは輪にした藁を乗せて、こぼれないようにして出て行きました(ポッチャン チャッポン チャッポン ポッチャン オイオイ コボスナヨ)。お袋が話していました。「肥え取りの伯父さんは、家人に糖尿病を持った人が居ると、それを的確に当てる。甘いにおいがするからだ」そうです。ホンマか?(わたくしめは そのような香りは しない)
学校で“海人草(かいにんそう)”を虫下しとしてよく飲まされた。女生徒は嫌がってなかなか飲まない。それをいいことに、俺は大好きだ!とお替りをする子がいた(私です)。
いかにも、虫下しのパッケージです。
中村化成産業が作った「アンテルミンチョコレート」は、食した記憶がありません。チョコの味がするアンテルミンは、サツマイモのでんぷんに薬を混ぜたものだそうです。都市部の学校でしか配布されなかったのでしょうか?しかし、想像したくない味です。田舎の子でした。