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Channel: 花の四日市スワマエ商店街
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ぶらり四日市 その一 広重の四日市

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歌川広重の傑作“保永堂版 東海道五十三次”より“四日市宿”。副題が“三重川(三瀧川)”となっています。ここが何処か?20年以上前、四日市市立博物館の副館長であり学芸員の広瀬毅さんのお話を聞くまでは、旧東海道の三瀧川に架かる四日市橋がこの絵の橋と思っていました。

安藤広重画 東海道五十三次より 四日市

川の河口付近の様子が描かれているこの作品。まず目につくのは、飛ばされた傘をつんのめるように追う男の表情の可笑しさ。対して反対方向へと、風に耐えながら板橋を渡っていく男。お互いが背を向けて離れる場面で旅の物悲しさを表現しました。遠くに帆柱が立ち、葦(あし)の生い茂る中に十軒ほどの家屋が望まれます。広瀬毅さんは、「東海道分権延絵図」から稲場町付近だと話してみえます。

三瀧川に架かる四日市橋 橋の両側は坂になっている

家康が“どうする、どうする”と迷った思案橋が右に架かっていますが、思案橋から竪町を過ぎ湊橋(開栄橋あたりか?)を進むと十里の渡しにたどり着きます。

モニュメントとして残る思案橋

よめやん!

名古屋の宮から船で十里。到着してまっすぐ西へ上ると、四日市宿の札ノ辻へ着きました。宿場風景とは、まるで関係のない海辺の風景が描かれているようですが、陸路では桑名の七里の渡しから、海路だと十里の渡しがあった。広重は、海路でも四日市宿へ着くことができた事を伝えたかったのでしょう。

確認の為 再掲載

少し大きそうな湊橋よりも、伊勢湾を背景とし、葦のしげっていたと思われるこちら橋の方が、広重の描いた場面にピッタリくるような気がします。


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