昭和30年代クイズ ⑮ 時の世相 回答
問1.の答えは、A.のムームーです。ハワイで着られていた服が日本へ入って大ヒット。涼しくて過ごしやすいため、夏場の女性の部屋着やリゾートウェアとして流行しました。...
View Article昭和30年代クイズ ⑯ 時の世相2回答
問1.の答えは、昭和34年ご成婚を祝って團伊玖麿氏により作曲されたのはB.祝典行進曲でした。まさか“王将”ではないでしょう村田はん。では、次の曲を聴き比べてください。1台のエレクトーンでここまで雰囲気が出せるとは驚きです。 (138) 團伊玖磨 / 祝典行進曲 - YouTube (138) 祝典行進曲/團 伊玖磨 ギャルド・レピュブリケーヌ吹奏楽団 - YouTube (138)...
View Article昭和30年代クイズ ⑰ 時の世相3
東京タワーは、昭和33年12月に開業。テレビ電波発信中継基地として東京芝浦公園に建設された高さ333メートルの鉄塔で、当時、国内では東京タワーより高い建物はなく、エッフェル塔の312メートルを抜いていた。完成後は映画やテレビのロケ地になっていて、昭和33年に放送された“月光仮面”では、登場するシーンのバックに建設中のテレビ等が映し出された。 そのシーンと思われます 左に注目...
View Article昭和30年代クイズ ⑰ 時の世相3の回答
三丁目の夕日より 回答編 問.1の答えは、C.日本電波塔でした。東京タワーですから、東京電波塔と言いたいところですね。設計に携わった一人である内藤多仲氏は、名古屋テレビ塔や二代目通天閣なども手掛けていて“塔博士”と呼ばれていました。そして、建設中の東京タワーの記録フィルムで、真っ赤に焼けたビスを火箸でもって手から手へ投げ渡しているシーンがありましたが、当時は、職人の手作業が中心だったんですね。...
View Article昭和30年代クイズ ⑱ 時の世相4
昭和34年ご成婚パレード、昭和39年東京オリンピックと大きな出来事と共にテレビは、急速な普及をみせました。そして、テレビの普及に乗るようにして大相撲とプロレスもファンを獲得していったのです。大相撲は栃錦と若乃花の“栃若時代”に朝汐が乗り込んだ形となり、大相撲ファンを熱狂させました。その後、昭和35年頃になると“柏鵬時代”を迎え、この二人に挑む栃ノ海や佐田の山が出て、お茶の間を盛り上げました。...
View Article昭和30年代クイズ ⑱ 時の世相4の回答
問1.の回答 大鵬の化粧まわしは、A.のスズランでした。幼い頃を過ごした北海道の代表花であるためでしょうか、スズランを愛しておりました。贈り物に頂いた鉢植えを大切にしていたそうです。...
View Articleシェーンは死んだのか?中編
八百屋の“しろちゃん”から、姉さんと「シェーン」を観に行くので、一緒に行かないかと誘われた。しかし、姉さんの都合で行けなかった記憶がある。封切りが昭和28年なので、三重劇場へ行こうとしていたのは幼稚園前の頃か?しろちゃんより歳が一つ下だったから、小さくて理解できないと思われたのかもしれない(恨)。 ジョー一家と、何気なくその場にいるシェ―ン...
View Article“スモーク”という煙に巻かれたような映画1
映画「スモーク」を観る。ああ これは、クリスマスの映画だということを最後まで気づかなかった。鑑賞後、ほっこりするような、もう一度 観ても良いような映画だった。“幸せは分かち合うもんだ。みんなお金持ちでもないけれど、幸せになる権利はあるんだ”という作品かな?...
View Article“スモーク”という煙に巻かれたような映画2
たばこ店 オーギーの店に、昔 彼女だった独眼竜(思わず笑える)の女性が乗り込んでくる。「オメメはどうしたの?」と聞くと「無くしたの。悪いものを見すぎたから。ところで お願いがある。妊娠している娘に会ってくれないか」という。「本当に 俺の娘か?」と聞くと“フィフティ フィフティ”との答え。二人で会いに行くと、娘は麻薬中毒で毒舌満開。子供は降ろしたといわれ...
View Article”スモーク”という煙に巻かれたような話 最終
万引き少年が落として言った(訂正:行った)財布を持って、盲目の老女を訪ねたタバコ屋のオーギー・レン(ハーヴェイ・カイテル)。一人暮らしの老人に肉親と偽りクリスマスのお祝いをする。100%善意だったかと言えば そうでもない、帰りに隅に置いてあった盗品と思われるキャノンのカメラを持って帰った。その話を作家のポール・ベンジャミン(ウイリアム・ハート)に話すと、話が出来すぎているとポール・・・...
View Article感涙の映画 二十四の瞳
ず―――っと昔、振興組合で上映いたしました。以来、涙もろくなったものです。映画の題が出ただけで、ウルルっと来てしまいます。歳をとったものです。 1番は、山が(川)の間違い。面倒なので直しません。
View Article伊勢参宮名所図絵
吉田吉三郎鳥観図集より “伊勢参宮名所図絵” 昭和5年1月1日発行 外宮周辺之図(右側) 外宮 下 近鉄宇治山田駅 内宮周辺之図(左側)右に古市 内宮 昭和5年1月1日発行
View Article恭賀新年
一日、二日と 穏やかでよいお天気に恵まれています。新年あけましておめでとうございます。 正月二日の諏訪神社 水谷百碩画“諏訪神社之景 鵜の森公園 稚拙なブログではございますが、皆様のご要望に少しでもお答えできます様 邁進いたしてまいる所存ですので、本年もどうか宜しくお願い申し上げます。 神社前から見たスワマエ通り 男の囲炉裏端の会に投稿された 伊藤さんの“すべてがあなたにちょうどよい”より...
View Articleぶらり四日市 その一 広重の四日市
歌川広重の傑作“保永堂版 東海道五十三次”より“四日市宿”。副題が“三重川(三瀧川)”となっています。ここが何処か?20年以上前、四日市市立博物館の副館長であり学芸員の広瀬毅さんのお話を聞くまでは、旧東海道の三瀧川に架かる四日市橋がこの絵の橋と思っていました。 安藤広重画 東海道五十三次より 四日市...
View Articleぶらり四日市その二 広重の四日市②
“四日市市史研究第14号”を図書館でお借りしてきた。ここに歌川広重が描いた“四日市”が掲載されていた。 五十三次の内 東海道四十四 四日市 東海道五十三次 四日市 この絵は二枚とも四日市宿へ入る四日市橋(訂正:三瀧橋 下総人様ご指摘ありがとうございます))が描かれているに違いない。 保永堂版の橋とは、はっきりと違いが分かる。やはり十里の渡しへ向かう橋を紹介したかったようだ。...
View Articleぶらり四日市 その三 家康と四日市
天正十年六月、つまり1582年6月2日早朝、京都本能寺に滞在していた織田信長を家臣であった明智光秀が謀反を起こし襲撃します。 包囲された信長は寺に火を放ち、自害して果てる。駆け付けた嫡男 信忠も抗戦するがやはり自害した。一方、信長の首をとった明智光秀も6月13日、備中 高松城の戦から引き返して来た羽柴秀吉軍と京都...
View Articleこんなときに“閑話休題” ? どうする 桶狭間!
少し古いお話になりますが、四日市エリアプラットホーム事業を立ち上げるにあたり、石田さんの提案で、東岡崎市(訂正:岡崎市)を訪れました。2021年12月の事です。名鉄 東岡崎の駅を降りてペデストリアンデッキに立った時、勇壮な“家康”の像に遭遇しました。岡崎は徳川家康誕生の地です。 右上にご注目 銅像の下には『厭離穢土 欣求浄土』の文字が刻まれておりました。...
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